2017年9月22日金曜日

磯川の村長 文野正勝 について知りたい(神奈川県の方より電話で受付)(四万十市立図書館)

【外部リンク】
【調査中】 文野 正勝の名について 中村市史p.808「戸長・副戸長・村長の名を明治壬申幡多郡戸副村長実姓名記録(亀井丈夫編「幡南探古録」所集)から中村市関係の抜書きより。」 に磯ノ川村長 文野 速(横に正勝)とある。 また、記録のあとに以下のようなことが書かれている。 「人名に通称のほか名乗(元服によって付けた名、本名)が記入されている。政府は明治5年5月7日に「人名の通称、名乗りを単一にせよ」の命令を出しており、記録はその後9月以降につくられたものだが名乗りが書かれている。旧慣が根強いことを意味する。」 文野 速の横にある正勝はこれに該当する。 回答プロセス:『高知県名鑑』、『高知県人名事典』、『中村町史』、『中村市史続編』、『土佐の墓』、『土佐偉人傳』には、文野についての記述なし。 文野 速(正勝)の記述は、明治5年(1872)の記録からの抜書きとある。 また、中村は、明治4(1871)年に廃藩置県で高知県が生まれると、県下を230の行政区に分け戸長などを置いた。中村は12区(町分、郷分)に属したが明治8(1875)年には、これが17の大区のもとに105の小区に編成しなおされ、その16大区の第1小区に編入されている。(「土佐の「小京都」中村-その歴史・町並み復元と史跡-」より)となっており、文野正勝が磯川の村長だった時期はこの頃ということがわかる。 その他に『中村市史』に文野 正勝ではないが、文野の姓をもつものの記述がいくつかあった。以下。 p.360 山内大膳亮家来のあとに文野 与助 p.394 浪人調査書に文野 助六『小姓方作事役人三人扶持十石」 p.528 家士 「中村三万石御分限御物成高御侍御奉公人覚」に書かれた中村の侍名簿内に 文野 清太郎 p.575 郷士名簿より 文野 萬之助 p.590 柏島より藻津迄相守人に 文野 利平太 以上の文野姓の人物と文野正勝とつながりがあれば、山内家臣などから情報があるかもしれない。→調査中 【四万十市役所に問い合わせ】→歴代村長が載ったアルバムがあったはず。確認したが、該当の人物について書かれたものはなかった。 【高知県立図書館】→問い合わせ中 事前調査事項:中村市史p.808に磯ノ川村長 文野 速(横に正勝) 参考資料:中村市史. p. 808, (文野正勝の文字あり) 照会先:四万十市生涯学習課 照会先:高知県立図書館【照会中】
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