2017年9月30日土曜日

国貞筆の浮世絵『浄瑠璃八景 義太夫千本桜』の画像を見たい。あわせて『千本桜』の内容を知りたい。(大阪府立中央図書館)

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●『浄瑠璃八景 義太夫千本桜』(国貞)の画像について <インターネット情報> ・TOKYO DIGITAL MUSEUM (東京都歴史文化財団)(2017/05/27現在) 江戸東京博物館/所蔵の歌川国貞(初代)の以下の画像が見つかりました。 http://ift.tt/2xQovsb ・演劇情報総合データベース (早稲田大学)(2017/5/27現在) http://ift.tt/KXj7Hj で「浄瑠璃八景 千本桜」を検索すると、演劇博物館所蔵の次の画像が見つかりました。 http://ift.tt/2xPIC9L なお、図書については、確認できませんでした。 ●『千本桜』について ・『邦楽百科辞典』(音楽之友社 1984.11)p.588によると、「千本桜」は、「義経千本桜」の略称とあり、p.1024「義経千本桜」の項には次のような記述があります。 「義太夫節の曲名。時代物。五段。義経伝説を題材とし、物語は義経を軸として展開されるが、主役となっているのは平知盛で、史実から大きく飛躍している。」 また、構成についても記述があり、歌舞伎の演目でもあるとの説明があります。 [事例作成日:2017年5月27日] 参考資料:邦楽百科辞典 音楽之友社 1984.11, (588、1024) 参考資料:http://ift.tt/2xQovsb, (TOKYO DIGITAL MUSEUM (東京都歴史文化財団)) 参考資料:http://ift.tt/KXj7Hj, (演劇博物館デジタル・アーカイブ・コレクション (早稲田大学)) 参考資料:http://ift.tt/2xPIC9L, (「浄瑠璃八景 義太夫の千本桜」(早稲田大学演劇博物館 浮世絵閲覧システム))
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レファレンス協同データベース FAN: 永禄年間に...料はないか。斎藤道三の家臣らしい。(岐阜県図書館)

「頭合わせ三つ三階菱」を丸で囲んだ家紋はあるか。どの地方に多いのか教えてほしい。(大阪府立中央図書館)

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次の資料に「頭合わせ三つ三階菱」を丸で囲んだ家紋がありました。 以下のとおり確認しました。 ・『日本家紋総鑑』(千鹿野茂/著 角川書店 1993.3) p.848の453に「三つ三階菱」が、454に「丸に三つ三階菱」の図があります。p.849「454 丸に三つ三階菱」の項に以下の記載があります。 ■高橋氏 都営雑司ヶ谷霊園 ■内山氏 (信濃国佐久郡内山より起こる清和源氏加賀美大井氏族・・・姓氏家系)長野市営霊園 本書p.46の「凡例」によりますと、全国各地の寺院・霊園の協力を得て墓石から採集した拓本と紋帳の家紋から収録したものとのことです。 ・『苗字から引く家紋の事典』(高澤等/著 東京堂出版 2011.1) 上記資料「丸に三つ三階菱」の項に高橋氏、内山氏の名前が挙がっているので、本書の「高橋」「内山」の項を確認したところ、p.101「内山」の部分に「頭合わせ三つ三階菱」の図が掲載されています。上記の『日本家紋総鑑』p.848の「三つ三階菱」と本書の「頭合わせ三つ三階菱」は同じものとして扱われています。 よって、『日本家紋総鑑』のp.848の「454 丸に三つ三階菱」が、「頭合わせ三つ三階菱を丸で囲んだ」家紋と思われます。 「頭合わせ三つ三階菱」を丸で囲んだ家紋が多い地方ははっきりしませんが、菱紋一般については、次の資料に記述がありました。 ・『都道府県別姓氏家紋大事典 東日本編』(千鹿野茂/著 柏書房 2004.6) p.984-985「菱」の項には「菱紋の分布は山梨県を中心に周辺の長野、群馬、神奈川、静岡、東京に多く見られる。」とあります。 [事例作成日:2017年6月13日] 参考資料:日本家紋総鑑 千鹿野/茂∥著 角川書店 1993.3, (848-849) 参考資料:苗字から引く家紋の事典 高澤/等∥著 東京堂出版 2011.1, (101) 参考資料:都道府県別姓氏家紋大事典 東日本編 千鹿野/茂∥著 柏書房 2004.6, (984-985)
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戦前に登記した会社の登記簿を閲覧することはできるか。(大阪府立中央図書館)

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東京法務局HP;商業・法人登記に関する"よくある質問"(2017/8/8確認) http://ift.tt/2xQNTOt 法務省民事局HP;登記-商業・法人登記-(2017/8/8確認) http://ift.tt/2x2m4hY 上記HP等によれば、現存する法人であれば法人所在地の法務局にて閲覧できる模様です。 解散した法人についても、「閉鎖登記簿の保存期間は20年となっております。」という記述があり、一部閲覧可能の模様です。 詳しくは下記法務局等にお問合せください。 大阪法務局(2017/8/8確認) http://ift.tt/2xPIY06 電話:06-6942-1481 東京法務局(2017/8/8確認) http://ift.tt/2x2mK7c 電話:03-5213-1234 [事例作成日: 2017年8月8日] 参考資料:http://ift.tt/2xQNTOt, (東京法務局HP;商業・法人登記に関する"よくある質問") 参考資料:http://ift.tt/2x2m4hY, (法務省民事局HP;登記-商業・法人登記-) 参考資料:http://ift.tt/2xPIY06, (大阪法務局)
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能の「高砂」をテーマにした「高砂図」が掲載されている画集を見たい。(大阪府立中央図書館)

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「高砂図」とは『国史大辞典』によると「日本画の画題。老松の下に、熊手(くまで)をもった老翁(尉(じょう))と、箒(ほうき)をもった老女(姥(うば))が立つ図柄で、祝賀の折の掛幅として喜ばれた。尉は住吉の、姥は高砂(播磨国)の松の精で、本来遠く離れながら長年通いなれて夫婦となったという祝言能『高砂』にもとづき、高砂住の江の相生(あいおい)の松の蔭で落葉を掃く図として描かれる。浮世絵などでは、鈴木春信の錦絵(にしきえ)二枚続のように当世風の若衆と娘に見立てて表わす場合も多い。」とあります。 次の資料に掲載されていました。 『琳派 4 人物』(紫紅社 1991.11) 【中野其明】図250  【中村芳中】図237 『日本美術絵画全集 第22巻 応挙 呉春』(座右宝刊行会/編 集英社 1977.4) 【呉春】図57  『河鍋暁斎画集 1 本画・画稿』(河鍋暁斎/[画] 六耀社 1994) 図205 「高砂の翁と嫗」(カラー) 図206 「高砂の翁」(カラー) 『秘蔵浮世絵大観 4 ヴィクトリア・アルバート博物館』(楢崎宗重/監修 講談社 1988.9) 図92 勝川春扇 「高砂」(単色図版) <回答プロセス> 以下の資料から掲載資料を確認しました。 『日本美術作品レファレンス事典:絵画篇 近世以前』(日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 1998.5) p.568「高砂図」の索引 『日本美術作品レファレンス事典 個人美術全集・絵画篇1 日本画』(日外アソシエーツ株式会社/編集 2011.7) p.473 「高砂の翁」「高砂の翁と嫗」の索引 『日本美術作品レファレンス事典 絵画篇 浮世絵』(日外アソシエーツ株式会社/編集 1993.4) p.427 「高砂」の索引 [事例作成日:2017年7月10日] 参考資料:琳派 4 紫紅社 1991.11, (図250 図237) 参考資料:日本美術絵画全集 第22巻 座右宝刊行会∥編 集英社 1977.4, (図57) 参考資料:河鍋暁斎画集 1 河鍋/暁斎∥[画] 六耀社 1994, (図205 206) 参考資料:秘蔵浮世絵大観 4 楢崎/宗重∥監修 講談社 1988.9, (図92) 参考資料:日本美術作品レファレンス事典 絵画篇 近世以前 日外アソシエーツ株式会社∥編集 日外アソシエーツ 1998.5, (568) 参考資料:日本美術作品レファレンス事典 個人美術全集・絵画篇1 日外アソシエーツ株式会社∥編集 日外アソシエーツ 2011.7, (473) 参考資料:日本美術作品レファレンス事典 絵画篇 浮世絵 日外アソシエーツ株式会社∥編集 日外アソシエーツ 1993.4, (427)
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元代の戯曲「漢宮秋」の本文ならびに現代語訳や研究論文を教えてほしい。(大阪府立中央図書館)

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 中国の元代の戯曲関連の資料を調べましたところ、「漢宮秋」の現代語訳が掲載されている資料は見つかりませんでしたが、読み下し文が掲載されている資料はありました。  下記の資料に本文ならびに読み下し文が掲載されていました。 ・『国訳元曲選:元曲概説・漢宮秋・殺狗勧夫』(塩谷温/著訳 目黒書店 1940.4) p.103-180に「漢宮秋」が収録されており、解説、本文、読み下し文ならびに語釈が記されています。 ・『国訳漢文大成 文学部第10巻:還魂記』(国民文庫刊行会/編集 国民文庫刊行会 1921.7) 解題(p.1-4)、読み下し文・語釈(p.1-51)、原文(p.1-15)が掲載されています。  また、「漢宮秋」に関する論文は下記のとおりです。 ・『清虚の事』(吉川幸次郎/著 朝日新聞社 1967.11) 「漢宮秋」という論文が収録されています(p.90-145)。 ・『中国の名著:倉石博士還歴記念』(東京大学中国文学研究室/編 勁草書房 1961.10) 「漢宮秋」(猪俣庄八/著)という論文が収録されています(p.183-190)。 ・金沢陽「青花騎馬人物文壺画題小考:元曲「破幽夢孤雁漢宮秋雑劇」との比較検討」『出光美術館研究紀要』3(出光美術館 1997.9)p.111-121 「「破幽夢孤雁漢宮秋雑劇」の概要」と題する一文が収録されています(p.116-118)。 [事例作成日:2017年7月26日] 参考資料:国訳元曲選 塩谷/温∥著訳 目黒書店 1940, (103-180) 参考資料:国訳漢文大成 文学部第10巻 国民文庫刊行会∥編集 国民文庫刊行会 1921, 参考資料:清虚の事 吉川/幸次郎∥著 朝日新聞社 1967, (90-145) 参考資料:中国の名著 東京大学中国文学研究室∥編 勁草書房 1976, 参考資料:出光美術館研究紀要 出光美術館 [編集] 出光美術館  3, (111-121)
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幽霊やお化けが登場する落語の演目を知りたい。(大阪府立中央図書館)

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次の資料等に掲載されています。 <図書> 『落語登場人物辞典』(高橋啓之/著 東京堂出版 2005.9) 「人物分類項目表」のp.13(現物ではページ番号をローマ数字で記載)に「お化け」の項目があり、登場人物が17人掲載されています。それぞれの登場作品は次のとおりです。 (凡例)掲載ページ 登場人物 『演目』 p.21 うわばみ『蛇含草』『そば清』『田能久』『夏の医者』 p.23 閻魔『お血脈』『地獄八景亡者戯』『死ぬなら今』 p.25 応挙の幽霊『応挙の幽霊』 p.28 お菊『皿屋敷』(『お菊の皿』) p.29 お幸『水神』 p.35 鬼『お血脈』『地獄八景亡者戯』『死ぬなら今』など p.74 三途川の婆『地獄八景亡者戯』 p.74 三年目の女房『三年目』 p.77 死神『死神』『誉れの幇間』 p.79 猩々『竜宮』 p.82 人呑鬼『地獄八景亡者戯』 p.87 疝気の虫『疝気の虫』 p.107 天狗『天狗裁き』『天狗の鼻』『羽団扇』など p.130 一つ目小僧『一眼国』 p.150 八百屋お七『お七』 p.155 幽霊『へっつい幽霊』 p.161 ろくろ首『ろくろ首』 『古典・新作落語事典』(瀧口雅仁/著 丸善出版 2016.6) 「事物・事象・その他の索引」に、「お化け・化け物」(p.425-426)と「幽霊」(p.439)の項目があります。「お化け・化け物」には7話、「幽霊」には24話掲載されています。 それぞれ次のとおりです。 「お化け・化け物」 『植木のお化け』『お化け長屋』『親子酒』『質屋庫』『狸の化寺』『化け物使い』『ろくろ首』 「幽霊」 『朝友』『江島屋騒動』『応挙の幽霊』『お菊の皿』『お七の十』『おすわどん』『怪談阿三の森』『怪談牡丹灯籠』『三年目』『さんま芝居』『品川心中』『樟脳玉』『年枝の怪談』『野ざらし』『化物娘』『反魂香』『不動坊』『へっつい幽霊』『星野屋』『安兵衛狐』『幽女買い』『幽霊タクシー』『幽霊の辻』『吉田御殿』 <インターネット> 「演目紹介」(落語芸術協会)(2017/08/18現在) http://ift.tt/2mEtK9k 演目名の五十音順リストになっていて、おもな登場人物の項目に「幽霊」があります。 該当する演目は次のとおりです。 「皿屋敷」「へっつい幽霊」「悋気の火の玉」 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:落語登場人物辞典 高橋/啓之∥著 東京堂出版 2005.9, (21、23、25、28、29、35、74、77、79、82、87、107、130、150、155、161) 参考資料:古典・新作落語事典 瀧口/雅仁‖著 丸善出版 2016.6, (425-426、439) 参考資料:http://ift.tt/2mEtK9k, (「演目紹介」(落語芸術協会)(2017/08/18現在))
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谷崎潤一郎の作品に『刺青』があります。この「刺青」という言葉は昔からあったのでしょうか。 また、「入れ墨」という別の漢字にも関わりがあるかについて知りたい。(大阪府立中央図書館)

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調査の結果、この言葉は日本においては、明治期になって使われ始めたようです。 ・『いれずみの文化誌』(小野友道/著 河出書房新社 2010.9) 「第一話:谷崎の『刺青』」に「「刺青」をいわゆるいれずみの意として用いたのは、実は明治からである」とし、「谷崎の『刺青』が世に出るまで「刺青」の用例は見当たらないので、谷崎の独創になる文字と見なされている。しかし、中国では古く「刺青」の文字があり、それはいれずみのことを指している」と書かれています。(p.7-8) ・『大漢和辞典 巻2:修訂版』(諸橋轍次/著 大修館書店 1984.6) 「刺青」の項目には、読みが「セキセイ」、意味は「いれずみ。刺文。」と書かれています。(p.260) ・『いれずみ(文身)の人類学』(吉岡郁夫/著 雄山閣出版 1996.9) 「イレズミの異名」という項目があり、その中に「刺青」という字が用いられるようになったのは、明治以降として「明治13年(1880)の刑法には「刺文」と記され、「刺青」はまだ現れていない。「刺青」が広く使われるようになったのは、明治44年(1911)、谷崎潤一郎が『刺青』という小説を書いてからだといわれている。大矢は、イレズミの材料は墨であっても、その結果は青く見えるので、それによって「刺青」という字が用いられるようになったのであろう、と述べている」との記述があります。(p.209-210) ・『イレズミの世界』(山本芳美/著 河出書房新社 2005.10) 「文化人類学から見たイレズミ」の章に、「イレズミや彫り物を指す言葉に「刺青」もあるが、これは明治時代に登場した比較的新しい言葉である。1910(明治43)年書かれた谷崎潤一郎の小説『刺青』から広まっていった。また1932(昭和7)年6月に長谷川伸の『刺青寄偶(いれずみちょうはん)』が歌舞伎座で上演されたことも刺青という言葉が一般化した契機となったといわれる」と記載されています。(p.36) ・『日本の刺青(いれずみ)と英国王室』(小山騰/著 藤原書店 2010.12) 序章の「イレズミとは」の項に、「イレズミを漢字で表示すれば、文字通り入墨(または入れ墨)が使用される。イレズミを表す言葉としては、それ以外にも文身(ぶんしん)、彫物(ほりもの)、刺青などが使用される。それぞれの言い方にはイレズミの技術や歴史が反映されている。刺青は明治時代中期以降イレズミを表す代表的な言葉として利用されて来た。刺青の読みもシセイだけではなく、イレズミと読まれる場合がある」と記されています。(p.8) ・『日本語源広辞典:増補版』(増井金典/著 ミネルヴァ書房 2012.8) 「いれずみ」の項目には、「語源は、「入れ+墨」です。皮膚に傷をつけ墨や朱を入れ、模様を入れることをいいます。文身、刺青、などと書きます」と書かれています。(p.90) ・『日本国語大辞典 第1巻:第2版』(小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2000.12) 「いれずみ」の項目があり、「入墨」「黥」「刺青」の字が当てられています。(p.1405) [事例作成日:2017年7月17日] 参考資料:いれずみの文化誌 小野/友道∥著 河出書房新社 2010.9, (7-8) 参考資料:大漢和辞典 巻2 修訂版 諸橋/轍次∥著 大修館書店 1984.6, (260) 参考資料:いれずみ(文身)の人類学 吉岡/郁夫∥著 雄山閣出版 1996.9, (209-210) 参考資料:イレズミの世界 山本/芳美∥著 河出書房新社 2005.10, (36) 参考資料:日本の刺青(いれずみ)と英国王室 小山/騰∥著 藤原書店 2010.12, (8) 参考資料:日本語源広辞典 増補版 増井/金典∥著 ミネルヴァ書房 2012.8, (90) 参考資料:日本国語大辞典 第1巻 第2版 小学館国語辞典編集部∥編集 小学館 2000.12, (1405)
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細川忠興が、何年にどの官位をもらったかについて調べたい。(大阪府立中央図書館)

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●細川忠興がうけた官位とその年 『日本史大事典 6 へ~わ』(平凡社 1994.2) 「細川忠興」は、1563-1645(永禄6.11.13-正保2.12.2) 安土桃山-江戸初期の大名で、p.169に「85年従四位下侍従(じゅしいのげじじゅう)、羽柴の姓を許され、88年左少将(さしょうしょう)」「96年(慶長元)明使の奏者を務め従三位参議越中守(じゅさんみさんぎえっちゅうのかみ)に叙任」とあります。 ・『日本近世人名辞典』(竹内誠編 吉川弘文館 2005.12) p.896 に「天正十三年七月十一日従四位下侍従、十六年には左近衛少将に任じられた。・・・慶長元年(一五九六)九月の秀吉と明使の接見には忠興は奏者役を勤め、この時従三位参議に昇任」とあります。 参考文献としてあがっていた、細川家の家史『綿考輯録 第2巻 忠興公(出水叢書)』(出水神社 1988.9)を調べたところ、p.68で「従四位下侍従への叙任」、p.83で「左近衛少将への叙任」、p.134で「従三位参議への叙任」の事実を確認できました。 ・『細川幽斎・忠興のすべて』(米原正義/編 新人物往来社 2000.3) p.224に「幽斎・忠興関係年譜」があります。 p.239 1585.7.11 忠興、従四位下侍従に任官、羽柴氏を称す。 p.243 1588この年 忠興、左近少将に任官・・ p.250 1596.9.2 忠興、従三位参議越中守に任じられる。 とあります。 [事例作成日:2017年7月21日] 参考資料:日本史大事典 6 平凡社 1994.2, (169) 参考資料:日本近世人名辞典 竹内/誠∥編 吉川弘文館 2005.12, (896) 参考資料:綿考輯録 第2巻 出水神社 1988.9, (68、83、134) 参考資料:細川幽斎・忠興のすべて 米原/正義∥編 新人物往来社 2000.3, (239、243、250)
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日本へ来ている外国人観光客の交通事故数について、都道府県別とその総数のここ5年間の件数推移について調べたい。(大阪府立中央図書館)

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・『交通事故統計年報 平成27年版』(交通事故総合分析センター 2016.9) P54に「職業別発生件数(第1当事者)」;「外国人」、P57に「職業別発生件数(第2当事者)」;「外国人」の都道府県別、管区別、合計の件数が記述されています。 『交通事故統計年報』平成23年版~平成26年版についても、いずれも同一のページにて当該件数が記述されております。よってこれらを併せてご確認いただくことにより、5年間の件数推移を把握いただくことができます。 [事例作成日: 2017年8月8日] 参考資料:交通事故統計年報 平成27年版 交通事故総合分析センター 2016.9, 参考資料:交通事故統計年報 平成26年版 交通事故総合分析センター 2015.9, 参考資料:交通事故統計年報 平成25年版 交通事故総合分析センター 2014.9, 参考資料:交通事故統計年報 平成24年版 交通事故総合分析センター 2013.9, 参考資料:交通事故統計年報 平成23年版 交通事故総合分析センター 2012.10,
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1915年と1943年に独立国家がいくつあったか知りたい。(大阪府立中央図書館)

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・『World handbook of political and social indicators』(by Charles Lewis Taylor and Michael C. Hudson Yale University Press New Haven 1972) p26-27の図表によれば、独立国家の数は次のとおりです。 1915年末 55 1943年末 68 ただし、複数の資料の記述によれば、そもそも「独立国家」、「独立」、「国家」の定義が学説によって見解が異なるため、その数や独立時期については定説が存在しないと考えられているようです。 上記資料でも、その定義や考え方等について、p15-18等に記述しています。 [事例作成日: 2017年8月8日] 参考資料:World handbook of political and social indicators 2nd ed. by Charles Lewis Taylor and Michael C. Hudson ; with the collaboration of Katherine H. Dolan ... [et al.] Yale University Press 1972, (26-27) 参考資料:世界の国一覧表 1984年版 外務省情報文化局国内広報課∥編集 世界の動き社 1984.2, (9) 参考資料:世界の国ぐに 板倉/聖宣∥著 仮説社 1992.11, (42-43) 参考資料:政治学概論 山川/雄巳∥著 有斐閣 1986.10, (115) 参考資料:ナショナリズムの発展 E・H・カー∥[著] みすず書房 1972, (36-37) 参考資料:日本外交史 14 鹿島平和研究所‖編 鹿島研究所出版会 1972, 参考資料:外国地理集成 上巻 角田/政治∥著 隆文館 1911, 参考資料:改造後の最新世界地理集成 上巻 改版 角田/政治∥著 隆文館 1920,
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交通事故にあい、慰謝料、治療費、入院費など損害賠償請求をするにあたり、請求金額の基準になる算定表のようなものがあると聞きました。参考になる資料を教えてください。(大阪府立中央図書館)

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交通事故の損害賠償額を決める際に参照される基準 1.官報告示で額が定まっている自賠責保険の基準 2.民間の保険会社が各々定める任意保険の基準 3.過去の裁判における判決例の蓄積から算定される基準 のうち、3の基準についての参考になる資料を紹介します。 ・『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準 2016(平成28)上巻 基準編 』 <通称:赤い本>(日弁連交通事故相談センター東京支部/編集  日弁連交通事故相談センター東京支部  2016.2) p171「入院慰謝料」別表あり。基準額に加えて、多数の判決例を掲載しています。過失相殺(いわゆる過失割合)についても解説。 ・『交通事故損害額算定基準 実務運用と解説 』<通称:青い本>(日弁連交通事故相談センター研究研修委員会/編集 日弁連交通事故相談センター2016.2) 基準額に加えて、多数の判決例を掲載しています。 ・『交通事故損害賠償必携 2017年 資料編』(宮原守男/編集代表  新日本法規出版 2016.12) p169~464の第6に「損害の算定」という章があり、詳細です。 ・『交通事故損害賠償額算定のしおり』(大阪弁護士会交通事故委員会 2009.3) 通常と、重症に分けて、入・通院慰謝料表の基準表は掲載されていますが、少し古いものになります。 ・『交通事故!遭ったらすぐに役立つ本』(吉岡翔/著 週刊住宅新聞社 2006.9) ・『交通事故の知識とQ&A 改訂8版』(高橋勝徳/著 法学書院 2008.3) ・『交通事故後遺障害等級獲得マニュアル 改訂増補版 後遺障害等級を獲得した診断書による解説』(宮尾一郎/著 かもがわ出版 2009.5) [事例作成日:2017年8月1日] 参考資料:民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準 2016上巻 日弁連交通事故相談センター東京支部‖編集 日弁連交通事故相談センター東京支部 2016.2, 参考資料:交通事故損害額算定基準 25訂版 日弁連交通事故相談センター研究研修委員会‖編集 日弁連交通事故相談センター 2016.2, 参考資料:交通事故損害賠償必携 2017年 宮原/守男‖編集代表 新日本法規出版 2016.12, (169~464の第6) 参考資料:交通事故損害賠償額算定のしおり 16訂版 大阪弁護士会交通事故委員会 2009.3, 参考資料:交通事故!遭ったらすぐに役立つ本 吉岡/翔∥著 週刊住宅新聞社 2006.9, 参考資料:交通事故の知識とQ&A 改訂第8版 高橋/勝徳∥著 法学書院 2008.3, 参考資料:交通事故後遺障害等級獲得マニュアル 改訂増補版 宮尾/一郎∥著 かもがわ出版 2009.5,
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夏目漱石が森田草平に宛てた書簡の中で、画家の小杉未醒について書いていたことがあると聞いた。その書簡の全文を読みたい。(大阪府立中央図書館)

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次の手順で調べました。 『夏目漱石辞典』(古川久/編 東京堂出版 1982.11) p.70の「小杉未醒」の項目に、「漱石は森田草平宛書簡(明治三九・五・五)で『ホトトギス』の挿画を褒め(以下略)」という記述があります。 『漱石全集 第22巻』(夏目金之助/著 岩波書店 1996.3) p.497-498に掲載されている森田草平宛書簡(明治三九・五・五)を見ると、「然し君小杉先生の雲は特別ですよ。あれはたまらないものだ。」(p.498)という記述があります。 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:夏目漱石辞典 古川/久∥編 東京堂出版 1982.11, (70) 参考資料:漱石全集 第22巻 A 夏目/金之助∥著 岩波書店 1996.3, (497-498)
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社会学者について述べられたできるだけ分かりやすい本を探している。特に「ゲオルク・ジンメル」、「マックス・ウェーバー」、「エミール・デュルケム」等がみたい。(大阪府立中央図書館)

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比較的新しい資料から一部紹介します。 ■社会学者を扱った概説的なもの ・『社会人のための社会学入門』(井原久光/著 産業能率大学出版部 2015.3) 「第1編 社会学とは何か」にて、社会学の誕生と発展について、時代を追ってわかりやすく記述しています。特にp54-58にかけてジンメルを、p63-72にかけてデュルケムを、p72-84にかけてウェーバーを扱っており、その思想を簡潔にまとめています。他にも数々の社会学者、学派の思想について解説しています。 ・『社会学の歴史1:社会という謎の系譜(有斐閣アルマ)』(奥村隆/著 有斐閣 2014.12) こちらも社会学のはじまりから21世紀の思想までを概説的に扱っている資料で、特に鍵となる人物を各章にて採り上げ、その思想を記述しています。例えば、第3章がデュルケム、第4章がヴェーバー、第5章がジンメル、…といった構成になっています。各章30頁程度を割き、上記資料よりも詳しく各思想について記述しています。 ・『よくわかる社会学(やわらかアカデミズム・シリーズ)』(宇都宮京子/編 ミネルヴァ書房 2009.1) 社会学全般について、さまざまな領域別に解説しています。末尾の「研究者紹介」にて、デュルケム、ヴェーバー、シュッツ、パーソンズ、ブルデューの5名をピックアップし、その出自や思想について2頁ずつ簡潔にまとめています。 ・『社会学がわかる。(アエラムック)』(朝日新聞社 2004.3) 雑誌ムックの形態で、社会学についてわかりやすく記述しています。p127~149「社会学のパースペクティブ」等様々な項にてデュルケムやヴェーバーらが登場しますが、特に各人物を特集したページはありません。 ■各人物を詳しく扱った資料 ・『ジンメル社会学を学ぶ人のために』(早川洋行/編 世界思想社 2008.10) ジンメルを扱った資料の中でも入門的な内容のように見受けます。その生涯や業績、またウェーバーやデュルケムらとの関係性等も扱っています。 ・『「社会」の誕生:トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史(講談社選書メチエ)』(菊谷和宏/著 講談社 2011.8) デュルケムの思想を中心に、その前後に活躍した2者と併せて解説、記述しています。 ■社会学全般を扱った概説的な資料等 ・『社会学:図解雑学 絵と文章でわかりやすい!』(栗田宣義/著 ナツメ社 2006.4) ・『社会学と過ごす一週間』(ソシオロジスト編集委員会/編 学文社 2003.4)  等 [事例作成日: 2017年8月8日] 事前調査事項:岡沢憲一郎『ゲオルク・ジンメルの思想』(文化書房博文社 2015) 小川英司『行為と認識』(いなほ書房 2002) 参考資料:社会人のための社会学入門 改訂増補版 井原/久光‖著 産業能率大学出版部 2015.3, 参考資料:社会学の歴史 1 奥村/隆‖著 有斐閣 2014.12, 参考資料:よくわかる社会学 第2版 宇都宮/京子∥編 ミネルヴァ書房 2009.1, 参考資料:社会学がわかる。 新版 朝日新聞社 2004.3, 参考資料:ジンメル社会学を学ぶ人のために 早川/洋行∥編 世界思想社 2008.10, 参考資料:「社会」の誕生 菊谷/和宏∥著 講談社 2011.8, 参考資料:社会学 栗田/宣義∥著 ナツメ社 2006.4, 参考資料:社会学と過ごす一週間 ソシオロジスト編集委員会∥編 学文社 2003.4,
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昭和35年~40年頃の東京銀座の街並みが分かる写真集がみたい。(大阪府立中央図書館)

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以下の資料があります。 ・『昭和の記憶 写真家が捉えた東京』(木村伊兵衛/[ほか撮影] クレヴィス 2012.9)(p.122-124) ・『東京 忘却の昭和三〇年代』(金子桂三/著 河出書房新社 2007.5)(p.32-41) ・『東京いつか見た街角』(持田晃/著 河出書房新社 2005.3)(p.74-85) ・『ビジュアルブック江戸東京 4 昭和30年東京ベルエポック』(岩波書店 1992.12)(p.8-10) ・『想い出の銀座:師岡宏次写真集』(師岡宏次/著 講談社 1973) [事例作成日:2017年7月10日] 参考資料:昭和の記憶 木村/伊兵衛∥[ほか撮影] クレヴィス 2012.9, (122-124) 参考資料:東京 金子/桂三∥著 河出書房新社 2007.5, (32-41) 参考資料:東京いつか見た街角 持田/晃∥著 河出書房新社 2005.3, (74-85) 参考資料:ビジュアルブック江戸東京 4 岩波書店 1992.12, (8-10) 参考資料:想い出の銀座 師岡/宏次∥著 講談社 1973,
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銃の種類による火薬の量の違いについて載っている本はないか。例えば、ライフルと拳銃の火薬の量の違いなどについて載っている本があれば見たい。(大阪府立中央図書館)

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次の資料に以下のような記述がありました。 1.『拳銃の科学 (サイエンス・アイ新書)」』(かのよしのり/著 SBクリエイティブ  2015.5) p.38-39 「銃弾の速度」の項目のところで、「各種拳銃弾の弾頭重量、発射薬量、初速の代表値」という表が掲載されており、銃の名称ごとに薬量が載せられています。(単位はグラムです。)ただし、製造会社が違えば発射薬も微妙に違い、薬莢に詰められている量も多少違うため、「表に記載されている発射薬の量も一応の目安と考えてください。」と書かれています。 その他、量についての記述ではありませんが、p.58に「弾丸と発射薬の関係」があり、こちらでは拳銃用発射薬とライフル用発射薬では、速く燃える特性と、ゆっくり燃える特性がそれぞれ必要であるため、燃える速さが異なると書かれています。 2.『銃の科学(サイエンス・アイ新書)』(かのよしのり/著 ソフトバンククリエイティブ 2015.5) p.166-167 「弾丸の初速」の項目のところで、「各種銃・弾薬の初速」という表が掲載されており、主な銃の名称ごとに発射薬量が載せられています。また、こちらの資料でも、同じ銃に使う実包も、何種類もあるのが普通であるため、必ずしもこの表通りとは限らない、という断り書きがなされています。 p.184-185「散弾の材質と寸法重量」の項目のところで、「散弾装弾の散弾量と発射薬量」の表があり、軽装弾、標準装弾、強装弾、マグナム装弾の4種類について、それぞれ発射薬量が載せられています。 [事例作成日:2017年8月16日] 参考資料:拳銃の科学 かの/よしのり‖著 SBクリエイティブ 2015.5, 参考資料:銃の科学 かの/よしのり∥著 ソフトバンククリエイティブ 2012.1,
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昭和2年に選定された「日本新百景」の選定箇所及び写真や図版の掲載されたものを探しています。選考の過程や審査の基準についても知りたい。(大阪府立中央図書館)

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「日本新百景」は新聞社が主催した事業から日本八景選出の過程で選定されたものです。 『稿本本山彦一翁伝』(荒木利一郎/編輯 大阪毎日新聞社 1929) p.522-538 「日本新八景廿五勝百景」の項目があり経緯、審査員や審査の基準、選定地が掲載されています。 国立国会デジタルコレクションでインターネット公開されています。(2017/7/10確認) http://ift.tt/2x2ytSU p.522はコマ番号322です。 次の資料に掲載されています。 ■図書 『環境イメージ論:人間環境の重層的風景』(古川彰/編 弘文堂 1992.3) p.277-306  白幡洋三郎「日本八景の誕生」の項目があり、p.298-299 「審査の基準」、p.300 「得票と選考のあいだ」には選考の過程の記述があります。 ■新聞記事 ・東京日日新聞主催「日本新八景」決まる 毎日新聞 1927.07.06 東京朝刊 6頁 1段目 朝刊 選定の経緯が書かれています。 ・日本百景も決まる 毎日新聞 1927.07.06 東京朝刊 7頁 1段目 朝刊 百景の一覧が掲載されています。 ■インターネット 環境庁のHPに八景のほか百景が掲載されています。 日本八景(昭和2年)の選定内容 - 環境省(2017/7/10確認) http://ift.tt/1tUqNQy 選定方法については以下のとおり書かれています。 (主催) 東京日日新聞・大阪毎日新聞 (選定趣旨) 昭和の新時代を代表する勝景を新しい好尚によって選定 (選定方法)山岳、渓谷、瀑布、温泉、湖沼、河川、海岸、平原の8つの部門で投票による推薦を募集し、各部門上位10位を選出。この中から検討委員が八景を選出し二十五勝・百景も同時に推薦 写真や図版につきましては当時の日本百景をとりまとめた資料として、上記『環境イメージ論 人間環境の重層的風景』のp.287に「この企画にかかわって書かれた新聞記事をもとにした『風景お国自慢』という本が出版された。これは当時の観光ガイドブックとして多数の読者を獲得した。」の記述があります。 『日本景勝旅行案内 : 風景お国自慢』(東京日日新聞社会部/編  四海書房 1927) 国立国会デジタルコレクション「国立国会図書館/インターネット送信限定」で公開されています。(2017/7/10確認) http://ift.tt/2x2BQJB [事例作成日:2017年7月10日] 参考資料:稿本本山彦一翁伝 荒木/利一郎∥編輯 大阪毎日新聞社 1929, (522-538) 参考資料:環境イメージ論 古川/彰∥編 弘文堂 1992.3, (277-306) 参考資料:http://ift.tt/2x2ytSU, (『稿本本山彦一翁伝』(荒木利一郎/編輯 大阪毎日新聞社 1929)) 参考資料:http://ift.tt/1tUqNQy, (環境省:日本八景(昭和2年)の選定内容) 参考資料:http://ift.tt/2x2BQJB, (『日本景勝旅行案内 : 風景お国自慢』(東京日日新聞社会部/編  四海書房 1927)) 参考資料:http://ift.tt/1ipIoWq, (図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館一覧(2017年1月4日現在)) 参考資料:http://ift.tt/LyPhth, (国立国会図書館 図書館向けデジタル化資料送信サービス)
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全国各地にある山で○○富士と名のつく山を知りたい。(大阪府立中央図書館)

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以下の資料に掲載されていました。 『日本山岳ルーツ大辞典』(村石利夫/編著 竹書房 1997.12) p.47-48 「ふるさとの富士山」の項目があり、「「おらが村の富士山」から全国的に知られた「○○富士」まで入れると日本には300を超える富士山がある。」と書かれており、都道府県別に掲載されています。 『日本山名総覧:1万8000山の住所録』(武内正/著 白山書房 1999.3) p.14 富士を含む山2.5万分図記載の山のみ(別名富士山は除く)の一覧が掲載されています。 また、「ふるさとの富士」や「郷土富士」といった呼び名があるようですのでその資料を以下にご紹介します。 『ふるさとの富士 日本一の富士山と郷土の麗峰 Gakken graphic books』(吉野晴朗/写真) 全国に知られる名峰・秀峰ふるさとの富士24山(東日本)、16山(西日本)、地元の人に愛されているふるさとの富士70山が写真とともに掲載されています。 『ふるさとの富士 列島100座』(吉野晴朗/著 ぎょうせい 1990.3) 日本全国のふるさと富士から厳選した104の富士を紹介した写真集です。 『ふるさと富士名鑑 日本と世界の郷土富士』(山と溪谷社/編 山と溪谷社 2014.3) 日本全国のふるさと富士、郷土富士が紹介されています。また、世界各地にある「○○富士」と呼ばれる山も掲載されています。 [事例作成日:2017年7月10日] 参考資料:日本山岳ルーツ大辞典 村石/利夫∥編著 竹書房 1997.12, (47-48) 参考資料:日本山名総覧 武内/正∥著 白山書房 1999.3, (14) 参考資料:ふるさとの富士 吉野/晴朗∥写真 学研 2004.2, 参考資料:ふるさとの富士 吉野/晴朗∥著 ぎょうせい 1990.3, 参考資料:ふるさと富士名鑑 山と溪谷社‖編 山と溪谷社 2014.3,
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明治から戦前までの、「株式会社」「合資会社」「合名会社」設立に関する法的なルール(資本金の制約、役員の人数、など)を記載した資料を知りたい。(大阪府立中央図書館)

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関連すると思われる図書・論文・HPについて、以下列記いたします。 ・『日本の会社制度発達史の研究』(吉田凖三/著 流通経済大学出版会 1998.9) 例えば、p48には明治23年公布の商法での合名会社・合資会社・株式会社それぞれの要件を記述する等、明治から戦後にわたる日本の会社制度について詳述しています。 なお、著者の関連論文が、下記流通経済大学HPよりダウンロード可能です。(2017/8/8確認) http://ift.tt/2xPqMnh http://ift.tt/2x2mh4W http://ift.tt/2xPIhE1 ・『明治商法の成立と変遷(明治大学社会科学研究所叢書)』(三枝一雄/著 三省堂 1992.3) 会社制度を含む商法関連の変遷について、明治期を中心に戦前にかけて、詳述しています。 ・『日本会社立法の歴史的展開:北沢正啓先生古稀祝賀論文集』(浜田道代/編 商事法務研究会 1999.2) 「第1編 幕末動乱期から第二次世界大戦の終結まで」にて、例えばp53では明治23年での各種会社について、p113以降では明治32年会社法の詳細について等、当時の諸制度について詳述しています。 ・『日本会社法成立史(学術選書)』(浅木慎一/著 信山社出版 2003.2) 全編にわたり、戦前の制度変遷について、詳細に記述しています。 [事例作成日: 2017年8月8日] 参考資料:日本の会社制度発達史の研究 吉田/凖三∥著 流通経済大学出版会 1998.9, 参考資料:明治商法の成立と変遷 三枝/一雄∥著 三省堂 1992.3, 参考資料:日本会社立法の歴史的展開 浜田/道代∥編 商事法務研究会 1999.2, 参考資料:日本会社法成立史 浅木/慎一∥著 信山社出版 2003.2, 参考資料:戦前日本の企業統治 青地/正史‖著 日本経済評論社 2014.9, 参考資料:昭和商法学史 倉沢/康一郎∥編 日本評論社 1996.12, 参考資料:会社法以前 [津田/利治∥著] 慶応義塾大学出版会 2003.3,
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1800年頃に、天満青物市場で北摂地域産の栗が扱われていたかどうかについて知りたい。(大阪府立中央図書館)

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1800年頃に、天満の青物市場で、北摂地域産の栗は流通していたようです。 次の資料を調査しました。 ・『封建社会の村と町:畿内先進地域の史的研究』(大阪歴史学会/編 吉川弘文館 1960.10) 小林茂「近世大阪における「青物」の流通問題:天満市場と百姓市との抗争」(p.1-59) p.12-14 「寛政十一年一月、天満市場で淀川筋所々から積んできた諸荷物運賃の改正につき、記された出荷地別の青物類」として、出荷地ごとの青物が並べられていますが、その内、三島江・唐崎から積んできた荷物の品目の中に「栗(能勢郡のもの)」という記述がありました。 こちらの引用元の資料は『青物市場旧記』となっており、『大阪商業史資料 第25巻』(大阪商工会議所 1964)の中に「青物市場一括」(25/209-25/296)として収録がありました。小見出し「淀川筋下リ荷物小廻賃定」の下に産地と品目が並べられ、その中の「三島江唐崎出 栗」と書かれたすぐ後ろの行に、「此クリハ凡能勢郡ヨリ出賣分の積也」と書かれていました。 以上の記述から、寛政11年(1799年)には、天満市場で、能勢郡の栗の取扱いがあったことが分かります。 また、次の資料によると、『能勢町史』に収録されていた1803年頃の文書にも、天満市場における栗の売買に関する記述があったようです。 ・荒武賢一朗「近世大坂における青物流通の取引範囲」『大阪の歴史』52(大阪市史編纂所 1999.1)p.35-55 p.44-45 「天満青物市場と周辺地域」 「村々為申合定書之事」という1803年頃の文書が引用されており、「大坂北在村々」の栗の売り捌きについて、北摂地域村々と天満市場との間で意見の食い違いが生じたことを示す文書だと書かれています。 [事例作成日:2017年8月10日] 参考資料:封建社会の村と町 大阪歴史学会∥編 吉川弘文館 1960.10, 参考資料:大阪商業史資料 第25巻 大阪商工会議所∥編集 大阪商工会議所 1964, 参考資料:大阪の歴史 大阪市史編纂所 大阪市史料調査会  52-56, 参考資料:能勢町史 第3巻 能勢町史編纂委員会∥編集 能勢町 1975, 参考資料:摂津名所図会 上巻 秋里/籬島∥著 臨川書店 1974, 参考資料:大阪食文化大全 笹井/良隆∥編著 西日本出版社 2010.11, 参考資料:大阪天満卸売市場史 大阪天満卸売市場仲卸組合連合会 大阪天満卸売市場仲卸組合連合会 1982.4, 参考資料:天満青物市場史料 上 大阪市史編纂所∥編集 大阪市史料調査会 1989, 参考資料:天満青物市場史料 下 大阪市史編纂所∥編集 大阪市史料調査会 1990, 参考資料:大阪府農業史 大阪府農業会議∥編集 大阪府農業会議 1984.7,
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ウサギの病気、涙襄炎(るいのうえん)の原因が知りたい。(大阪府立中央図書館)

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下記関連資料によれば、うさぎの種類によって、例えば、ロップイヤー品種などは、もともと短頭であるため、眼と鼻孔との距離が著しく短く、鼻涙管の湾曲が強いことによることが原因になる場合や、種類に関わらず食生活の偏りにより歯根のトラブルなどがおこることにより、涙襄から鼻につながる細い管が詰まり、感染症を起こす場合などがあるようです。 1.『もっともくわしい 動物の薬の本』(矢沢サイエンスオフィス/編 学研 2009.1) p271の11に、涙襄炎(るいのうえん)の説明があります。 「目をうるおす涙が流れ込む小さな袋を涙襄(るいのう)と呼びますが、涙襄から鼻につながる細い管が詰まると、感染症を起こし、涙襄炎となります。この病気になると、普段から目元に目やにが付着するようになり、軽度な結膜炎を発症することも多いようです」 2.『新獣医学辞典』(新獣医学辞典編集委員会/編 チクサン出版社 2008.1) p1389に、涙襄炎についての説明があります。 「涙襄の炎症をいい、涙管狭窄あるいは閉鎖球菌などの細菌感染が生じたとき、また結膜炎あるいは伝染性疾患の経過中に起こる。慢性症では流涙が多く、涙襄部を圧すると粘液ないし膿性粘稠液を排出する。 ・・・治療は抗生物質による涙襄内洗浄を行い、化膿に対しては切開し、排膿する。」 3.『症例でみる小動物の皮膚病診療Q&A』(岩崎利郎/監修 緑書房 2012.8) p72「(うさぎの)ロップイヤー品種は短頭であるため眼と鼻孔との距離が著しく短く、鼻涙管の湾曲が強い。 鼻涙管狭窄は歯根のトラブルと関連していることが多いため、一度始まってしまうと、鼻涙管洗浄を繰り返ししても治らないケースが少なくない。従って長時間にわたって治療が必要となる可能性がある。 ○オーナーへの伝え方 ・鼻涙管狭窄は歯根のトラブルと関連していることが多いため、一度はじまってしまうと、鼻涙管洗浄をくり返しても、 治らないケースが少なくない。したがって長期間にわたって治療が必要となる可能性があることを伝える。 ・歯根炎など歯根の異常は干草の食べ方が少なく、ラビットフードに偏った食生活が大きな原因となるので、食生活の見直しを提案する。硬いラビットフード(ソフトタイプと称するものでも)を食べている高齢のうさぎでは、歯根の負担を軽減するために、フードを水でふやかして与えるなどの工夫が必要な場合もある。」 [事例作成日:2017年8月1日] 参考資料:もっともくわしい動物の薬の本 矢沢サイエンスオフィス∥編 学研 2009.1, 参考資料:新獣医学辞典 新獣医学辞典編集委員会∥編 チクサン出版社 2008.1, 参考資料:症例でみる小動物の皮膚病診療Q&A 岩崎/利郎∥監修 緑書房 2012.8,
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皇紀年号について知りたい。(大阪府立中央図書館)

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皇紀年号は、神武紀元とも言われ、『日本国語大辞典 第7巻 しゅんふ-せりお』(小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2001.7)には、「『日本書紀』によって、神武天皇が即位したといわれる年を紀元元年とする日本の紀元。西暦紀元六六〇年が神武紀元元年となる。皇紀。」(p.720)と書かれています。 皇紀年号についての資料には、以下のようなものがあります。 <図書> ・松崎彰「明治初期の公文書紀年書式と神武紀元の制定」『近代日本の形成と宗教問題 中央大学人文科学研究所研究叢書』(中央大学人文科学研究所/編 中央大学出版部  1992.6)p.237-263 ・「神武紀元」『暦と時の事典 日本の暦法と時法』(内田正男/著 雄山閣 1986.5)p.147-148 ・『神武天皇 三一新書』(門脇禎二/著 三一書房 1957)  ・『上代日本史の問題点 建国紀元の探求』(市村其三郎/著 世界書院 1965) ・『日本の建国と二月十一日』(平田俊春/著 甲陽書房 1967) ・「第四章 神武紀元の制定について」『日本書紀の研究』(丸山二郎/著 吉川弘文館 1955)p352-359 ・飯田満麿「皇歴実年代算定についての試案」『古代に真実を求めて 第11集 古田史学論集』(古田史学の会/編 明石書店 2008.3)p.158-173 <国立国会図書館デジタルコレクション> 以下の資料は、国立国会図書館や図書館送信参加館で閲覧できます。 ・『神武天皇紀元論 紀元節の正しい見方』(日本文化研究会/編 立花書房1958) http://ift.tt/2x2DJ9o ・『紀元節問題に関する資料集』(国立国会図書館調査及び立法考査局 1966) http://ift.tt/2xPq9du ・『神武天皇と日本の歴史』(中山久四郎/編 小川書店 1961) http://ift.tt/2x2zbQh ・『日本書紀の隠記する実紀年の研究』(美濃晃順/著 二灯庵 1965) http://ift.tt/2xPqe0M (2017/8/18現在) ・「神武紀元の制定」『日本古代史研究』(丸山二郎/著 大八洲出版 1948)p.173-187 http://ift.tt/2x2Jbcf [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:日本国語大辞典 第7巻 第2版 小学館国語辞典編集部∥編集 小学館 2001.7, (720) 参考資料:近代日本の形成と宗教問題 中央大学人文科学研究所∥編 中央大学出版部 1992.6, (237-263) 参考資料:暦と時の事典 内田/正男∥著 雄山閣 1986.5, (147-148) 参考資料:神武天皇 門脇禎二著 三一書房 1957, 参考資料:上代日本史の問題点 市村其三郎著 世界書院 1965, 参考資料:日本の建国と二月十一日 平田/俊春∥著 甲陽書房 1967, 参考資料:日本書紀の研究 丸山/二郎∥著 吉川弘文館 1955, (352-359) 参考資料:古代に真実を求めて 第11集 古田史学の会∥編 明石書店 2008.3, (158-173) 参考資料:http://ift.tt/2xQYbOn, (『神武天皇紀元論 紀元節の正しい見方』(日本文化研究会/編 立花書房1958)) 参考資料:http://ift.tt/2x2yare, (『紀元節問題に関する資料集』(国立国会図書館調査及び立法考査局 1966)) 参考資料:http://ift.tt/2xP9GG2, (『神武天皇と日本の歴史』(中山久四郎/編 小川書店 1961)) 参考資料:http://ift.tt/2xPqe0M, (『日本書紀の隠記する実紀年の研究』(美濃晃順/著 二灯庵 1965)) 参考資料:http://ift.tt/2x2BId5, (「神武紀元の制定」『日本古代史研究』(丸山二郎/著 大八洲出版 1948))
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『アサヒグラフ』か『毎日グラフ』の30年前くらいに出版されたものに、徳川慶喜が弓を引いている写真が載っていた。何処に載っていたか教えてほしい。(大阪府立中央図書館)

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次の資料に掲載されていました。 『毎日グラフ』 2050(毎日新聞社 1989.2.19)p.77 <回答プロセス> 『写真レファレンス事典 人物・肖像篇』(東京都写真美術館/監修 日外アソシエーツ 2006.3)p.479-480を確認しましたが、収録対象に『アサヒグラフ』と『毎日グラフ』は含まれていませんでした。 オンラインデータベース「マガジンプラス」で全文検索の項目に「慶喜」、雑誌の情報の誌名/書名に「アサヒグラフ」あるいは「毎日グラフ」と入れて検索すると、「アサヒグラフ」ではヒットしませんでしたが、「毎日グラフ」では2件ヒットしました。そのうちの1件に、該当の写真が載っていました。 [事例作成日:2017年8月17日] 参考資料:写真レファレンス事典 人物・肖像篇 東京都写真美術館∥監修 日外アソシエーツ 2006.3, (479-480) 参考資料:毎日グラフ 毎日新聞社 毎日新聞社  42(6-9), (<2050>77)
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昭和20年代~40年代にかけての清涼飲料水の生産量と消費量を調べている。掲載されている資料があれば紹介してもらいたい。(大阪府立中央図書館)

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<生産量について> ■図書 『日本清涼飲料史』(東京清涼飲料協会/編 東京清涼飲料協会 1975) p960~961 昭和26,27年、P982には昭和28,29年の清涼・嗜好飲料の生産表等 p962~968(ページ記入なしにつき推定) 大正15年~昭和26年までの清涼飲料都道府県別生産調 p973 昭和27,28年の清涼飲料生産実績・嗜好飲料販売実績表 p315 昭和31年~36年の、わが国におけるサイダー、ラムネ及び果汁飲料の生産推移表が掲載されています。 『清涼飲料の50年』( 「清涼飲料の50年」編纂委員会/編纂  全国清涼飲料工業会 2005.7)  巻末資料には、昭和30(1955)年~平成16(2004)年内で、5年間隔での清涼飲料品生産量の掲載があります。 『ビジネス・ダイナミックスの研究 戦後わが国の清涼飲料事業』 (村山/貴俊∥著 まほろば書房 1974.10) p22~23 1960年代、p28,29 1970年代における清涼飲料の生産量と成長率についての掲載があります。 『酒類食品産業の生産・販売シェア 昭和49年度版 需給の動向と価格変動』 (日刊経済通信社/編 日刊経済通信社 1974) 第10章が清涼飲料水の需給動向の項目であり、その内、p252~253表10-1Aに昭和40~46年まで、p36,37に1980~1989年の清涼飲料水の年次別生産統計の掲載があります。 最近(2011~2016年) のデータであれば、 『清涼飲料水関係統計資料 [2016]』 (全国清涼飲料工業会 2016.5) などもあります。 炭酸飲料、果実飲料、コーヒー飲料などの清涼飲料に関する統計が掲載されています。 同資料は、当館にはこのほかに1984,86~89、2005年の所蔵があります。 ■WEB (一般社団法人)全国清涼飲料工業会のホームページ  http://ift.tt/2x2DFqa に統計の掲載あり、1997~2016年までの清涼飲料水の生産量推移等の掲載があります。 <消費量について> ■図書 『日本清涼飲料史』(東京清涼飲料協会/編 東京清涼飲料協会 1975) p999に、昭和28年の府県別一人当たり消費量調べ表、清涼飲料水の当時の税率、製造過程表等、戦前の清涼飲料水関係のデータなどの掲載があります。 『酒類食品産業の生産・販売シェア 昭和49年度版 需給の動向と価格変動』 (日刊経済通信社/編 日刊経済通信社 1974) p255の表10-3に、昭和38~47年の清涼飲料水の国民1人当たりの年間推定消費量の掲載があります。 ■WEB (一般社団法人)全国清涼飲料工業会のホームページ http://ift.tt/2x2DFqa 2007~2016年までの一人あたりの清涼飲料水の消費量の推移等の掲載があります。 [事例作成日:2017年8月10日] 参考資料:日本清涼飲料史 東京清涼飲料協会∥編 東京清涼飲料協会 1975, 参考資料:清涼飲料の50年 「清涼飲料の50年」編纂委員会∥編纂 全国清涼飲料工業会 2005.7, 参考資料:ビジネス・ダイナミックスの研究 村山/貴俊∥著 まほろば書房 2007.3, 参考資料:酒類食品産業の生産・販売シェア 昭和49年度版 日刊経済通信社∥編 日刊経済通信社 1974, 参考資料:清涼飲料水関係統計資料 [2016] 全国清涼飲料工業会 2016.5, 参考資料:http://ift.tt/2xPNfkd, ((一般社団法人)全国清涼飲料工業会)
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紅葉のメカニズムについて調べたい。(大阪府立中央図書館)

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紅葉のメカニズムについて、次の資料をご紹介します。 1.『植物生理学大要: 基礎と応用』(田口亮平/著 養賢堂 1993) XI.植物の成長・発育の周期  1.植物の生活環   (4)木本多年生植物の生活環    b.落葉 p.320  「葉が紅葉するのは、秋期に葉内細胞の細胞液中に紅色色素であるアンソシアニンが生成されるからである。それは秋に葉柄の基部に離層ができるため光合成によって生産された炭水化物が葉内に滞積し、これからアンソシアニンが形成されることによる。」 2.『紅葉ハンドブック』(林将之/著 文一総合出版 2008.9) p.3 「紅葉のしくみ」の項目があります。 3.『トコトンやさしい光合成の本 (B&Tブックス)』(園池公毅/著 日刊工業新聞社 2012.12) p.56 「花にも葉にもあるアントシアニン 紅葉した葉や花の色素はアントシアニン」の項目があります。 4.『絵とき植物生理学入門 (改訂3版)』(山本良一/編著 オーム社 2016.10) p.154 「秋のもみじ 液胞のアントシアニンの働き」の項目があります。 [事例作成日: 2017年8月16日] 参考資料:植物生理学大要 第2次増訂改版 田口/亮平∥著 養賢堂 1993, (320) 参考資料:紅葉ハンドブック 林/将之∥著 文一総合出版 2008.9, (3) 参考資料:トコトンやさしい光合成の本 園池/公毅∥著 日刊工業新聞社 2012.12, (56) 参考資料:絵とき植物生理学入門 改訂3版 山本/良一‖編著 オーム社 2016.10, (154)
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世界一小さい「手乗りジカ」ともいわれている「マメジカ」について知りたい。(大阪府立中央図書館)

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マメジカについて、次の資料をご紹介します。 1.『世界珍獣図鑑 (オリクテロプス自然博物館シリーズ)』(今泉忠明/著 人類文化社 2000.3) p.126-127 「手乗りジカ」として、シカとの違い、反芻動物としての特徴、行動特性、ルーツ、天敵、等の説明があります。カラー写真あり。 2.『ボルネオ島アニマル・ウォッチングガイド』(安間繁樹/著 文一総合出版 2002.9) マメジカについてのまとまった説明はなく、随所に名前が出てきますが、「足跡と歩行パターン図」にマメジカの右後足の足跡が掲載されています。動物名索引あり。(p.215) 3.『オックスフォード動物学辞典』(Michael Allaby/編 朝倉書店 2005.7) p.457 マメジカ科 Tragulidae (マメジカ類; ウシ下目(真反芻類)、マメジカ上科)についての解説があります。 4.『熱帯アジア動物記: フィールド野生動物学入門 (フィールドの生物学1)』(松林尚志/著 東海大学出版会 2009.11) 第2章 マメジカの生態に迫る p.39-76 世界最小の反芻動物「マメジカ」の生態、カビリ・セピロク森林保護区で捕獲し、発信器をつけて活動の様子を観察したこと、等が書かれています。白黒写真あり。 [事例作成日: 2017年8月17日] 参考資料:世界珍獣図鑑 今泉/忠明∥著 人類文化社 2000.3, (126-127) 参考資料:ボルネオ島アニマル・ウォッチングガイド 安間/繁樹∥著 文一総合出版 2002.9, (215) 参考資料:オックスフォード動物学辞典 Michael Allaby∥編 朝倉書店 2005.7, (457) 参考資料:熱帯アジア動物記 松林/尚志∥著 東海大学出版会 2009.11, (39-76)
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魔女狩りに影響を与えた『魔女への鉄槌』の内容とこれについて書かれている資料を教えてほしい。(大阪府立中央図書館)

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●『魔女への鉄槌』(以下『鉄槌』という)について 『悪魔学大全』(ロッセル・ホープ・ロビンズ/著 青土社 1997.2) によれば、本書は「それまでは黒魔術に関する民間伝承にすぎなかったものを、異端に対するキリスト教会の教義と結び付け」、厳格な法の形に結実させたものであり、書名は「Malleus Maleficarum」もしくは「Hexenhammer」で、初版は1486年。各国語に翻訳され、「少なくとも十六種のドイツ語版、十一種のフランス語版、二種のイタリア語版、そしていくつかの英語版がある」「著者は二人のドミニコ会士、ヤーコブ・シュプレンゲル(1436~95年、ケルン大学学部長)と修道院長ハインリヒ・クラーメル [ラテン名インスティトル](1430年頃~1505年)」とあります。 下記で紹介している『魔女の誕生と衰退:原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』によれば、「魔女術に関する最初の百科全書であり、魔女の脅威を世に知らしめるとともに、魔女を裁く裁判官たちのための手引書」で、「伝統的なスコラ学書の構成にならい、計三部に分かれている。」とあります。 ●『魔女への鉄槌』についての関連資料 <図書> ・『悪魔学大全』(ロッセル・ホープ・ロビンズ/著 青土社 1997.2) p.569-572 ・『魔女の誕生と衰退:原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』(田中雅志/編訳・解説 三交社 2008.4) p.98-115  ・『悪魔と悪魔学の事典』(ローズマリ・エレン・グィリー/著 原書房 2016.4) p.420-423 ・『魔女と魔術の事典』(ローズマリ・エレン・グィリー/著 原書房 1996.10) p.420-421 ・『エランベルジェ著作集 2 精神医療とその周辺』(エランベルジェ/[著] みすず書房 1999.8) p.28-45「「魔女への鉄槌」を主題として」の論文があり、魔女裁判を精神医学史のなかでとらえたものです。 ・『魔女 下(古典文庫)』(ミシュレ/著 現代思潮社 1977) p.24-41  ・『異端事典』(C.S.クリフトン/著 三交社 1998.10) p.205-208  ・『魔女の法廷:ルネサンス・デモノロジーへの誘い』(平野隆文/著 岩波書店 2004.1) p.36-57 ・『魔女狩りと悪魔学』(上山安敏/編著 人文書院 1997.3) p.91-94、99-101、303-305、「日本の研究状況」について、p.340-345に記述があります。 ・『図説魔女狩り (ふくろうの本)』(黒川正剛/著 河出書房新社 2011.3) p.37-41 ・『魔女狩り (ヨーロッパ史入門)』(ジェフリ・スカール/[著] 岩波書店 2004.10) p.90-92 ・『魔女狩り:西欧の三つの近代化(講談社選書メチエ)』(黒川正剛/著 講談社 2014.3) p.35-39、50-54、72-93 ・『魔女狩りの社会史:ヨーロッパの内なる悪霊』(ノーマン・コーン/著 岩波書店 1983.7) p.220、311、348 ・『魔女狩り(岩波新書 青版)』(森島恒雄/著 岩波書店 1979) p.60-64 ・『魔女と魔女裁判:集団妄想の歴史(りぶらりあ選書)』(クルト・バッシュビッツ/著 法政大学出版局 1979) p.93-109 ・『教皇と魔女:宗教裁判の機密文書より(叢書・ウニベルシタス)』(ライナー・デッカー/著 法政大学出版局 2007.11) p.59-72 ・『魔女現象』(ヒルデ・シュメルツァー/著 白水社 1993.5) p.95-106、p.157-172 には「拷問」についての記述があります。 ・『呪術の人類学』(白川千尋/編 人文書院 2012.3) p.125-128 ・『魔女の秘密展 公式図録 西村佑子/監修 中日新聞社 [2015]』 p.73 『魔女に与える鉄槌』の1519年版、1490年版の写真があります。 ・『魔女とキリスト教:ヨーロッパ学再考(講談社学術文庫)』(上山安敏/[著] 講談社 1998.1) p.213-220 <論文> ・清末尊大(キヨスエ タカオ)「最初の魔女狩り全書『魔女に下す鉄槌Manneus Maleficarum』の研究 (1)、(2・完)」『北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編』 49(1-2) (北海道教育大学 1998.8-1999.2) 49(1)p.123-138、49(2)p.17-39に掲載されています。 ・野村仁子(ノムラ ヒサコ)「『魔女への鉄槌』研究 ⑴― 第一部の分析を中心に ―」『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集第』12 号(2011) インターネットで公開されています。(2017/7/15現在) http://ift.tt/2x2sEF7 ・平野隆文「ジャン・ボダンとヨーハン・ヴァイヤー : 悪魔学の医学的・法学的・司法的「テクスト戦略」を巡って」(博士論文) 「国立国会図書館デジタルコレクション」の図書館間送信参加館で閲覧できます。(2017/7/15現在) p.8-49 第1章 『魔女への鉄槌:スコラの魔女学』 [事例作成日:2017年7月15日] 参考資料:悪魔学大全 ロッセル・ホープ・ロビンズ∥著 青土社 1997.2, (569-572) 参考資料:魔女の誕生と衰退 田中/雅志∥編訳・解説 三交社 2008.4, (98-115) 参考資料:悪魔と悪魔学の事典 ローズマリ・エレン・グィリー‖著 原書房 2016.4, (420-423) 参考資料:魔女と魔術の事典 ローズマリ・エレン・グィリー∥著 原書房 1996.10, (420-421) 参考資料:エランベルジェ著作集 2 エランベルジェ∥[著] みすず書房 1999.8, (28-45) 参考資料:魔女 下 ミシュレ∥著 現代思潮社 1977, (24-41) 参考資料:異端事典 C.S.クリフトン∥著 三交社 1998.10, (205-208) 参考資料:魔女の法廷 平野/隆文∥著 岩波書店 2004.1, (36-57) 参考資料:魔女狩りと悪魔学 上山/安敏∥編著 人文書院 1997.3, (91-94、99-101、303-305) 参考資料:図説魔女狩り 黒川/正剛∥著 河出書房新社 2011.3, (37-41) 参考資料:魔女狩り ジェフリ・スカール∥[著] 岩波書店 2004.10, (90-92) 参考資料:魔女狩り 黒川/正剛‖著 講談社 2014.3, (35-39、50-54、72-93) 参考資料:魔女狩りの社会史 ノーマン・コーン∥著 岩波書店 1983.7, (220、311、348) 参考資料:魔女狩り 森島/恒雄∥著 岩波書店 1979, (60-64) 参考資料:魔女と魔女裁判 クルト・バッシュビッツ∥著 法政大学出版局 1979, (93-109) 参考資料:教皇と魔女 ライナー・デッカー∥著 法政大学出版局 2007.11, (59-72) 参考資料:魔女現象 ヒルデ・シュメルツァー∥著 白水社 1993.5, (95-106、157-172) 参考資料:呪術の人類学 白川/千尋∥編 人文書院 2012.3, (125-128) 参考資料:魔女の秘密展 西村/佑子‖監修 中日新聞社 [2015], (73) 参考資料:魔女とキリスト教 上山/安敏∥[著] 講談社 1998.1, (213-220) 参考資料:北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編 北海道教育大学 編集 北海道教育大学  49(1-2)50(1), 参考資料:http://ift.tt/2x2sEF7, (野村仁子(ノムラ ヒサコ)「『魔女への鉄槌』研究 ⑴― 第一部の分析を中心に ―」『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集』12 号(2011))
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大阪にある鉄道各社の、「会社全体の輸送人キロ」が分かる資料を紹介して欲しい。(大阪府立中央図書館)

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1.『鉄道統計年報 平成23年度』(国土交通省鉄道局/監修 2014.2 電気車研究会) p.30-31 運輸成績表  鉄道各社の延日キロ、旅客人キロなどが表にしてまとめられています。  在阪鉄道会社ですと、近畿日本鉄道(大阪京都奈良線、南大阪・吉野線)、南海電気鉄道(南海線)、京阪電気鉄道(京阪線)、阪急電鉄(京都・千里線、神戸・宝塚線)、阪神電気鉄道(阪神線)、北大阪急行電鉄、大阪府都市開発(泉北高速鉄道)、大阪高速鉄道(大阪モノレール)、能勢電鉄、阪堺電気鉄道、水間鉄道、大阪市営地下鉄(各線)についてのデータがありました。 『鉄道統計年報』は、冊子体では平成23年度までの刊行となっており、以降はインターネットで公開されています。 鉄道:鉄道統計年報 - 国土交通省(2017/8/16現在) http://ift.tt/2x2xVMQ 項目「1.運輸」の「(2) 運輸成績表(延日キロ,人(トン)キロ,平均数)」に、鉄道会社ごとの輸送人キロがまとめられています。 2.『大阪都市交通要覧 平成25年版』(関西鉄道協会都市交通研究所/編集 関西鉄道協会都市交通研究所 2016.12) p.32-33 平成24年度の大阪市交通局、西日本旅客鉄道、阪神電気鉄道、阪急電鉄、京阪電気鉄道、近畿日本鉄道、南海電気鉄道、北大阪急行電鉄、大阪高速鉄道(大阪モノレール)、大阪府都市開発(泉北高速鉄道)、阪堺電気軌道、能勢電鉄についてそれぞれ、客車走行キロ、旅客輸送人員、旅客人キロなどのデータがあります。 3. 一般社団法人 日本民営鉄道協会のHP 民鉄各社紹介 日本民営鉄道協会(2017/8/16現在) http://ift.tt/2xQLhQm 加盟各社の、鉄道会社ごとの旅客輸送人キロが掲載されています。鉄道会社によっては、2016年3月末現在となっていますので、もしかしたらこちらのデータが一番新しいかもしれませんが、100万よりも細かい数字は切り捨て、または繰り上げになっています。 民鉄各社紹介>日本民営鉄道協会 加盟各社のご紹介>関西地区 から、近畿圏内にある加盟各社の一覧が見られます。 鉄道会社の名前をクリックしたページ「民鉄各社紹介」の下の方、「鉄道データ」の所に輸送人キロの記載があります。 1の『鉄道統計年報』よりも詳細なデータが載っている資料については、次の2点がありました。 4.「都市交通年報 平成25年版」(運輸政策研究機構/編集 運輸政策研究機構 2016.2) p.103-104 「鉄・軌道の主要路線別年鑑輸送人キロ、一人平均乗車キロ及びキロ当たり平均乗車人員(平成23年度)のうち、京阪神交通圏 JR西日本についてはデータなしとなっていますが、その他の鉄道会社については、近鉄難波線(近鉄難波~上本町)、大阪線(上本町~長谷寺)、南大阪線(大阪阿部野橋~橿原神宮前)などに分かれて、鉄道統計年報より細かい項目になっています。南海電気鉄道も、南海本線(難波~考子)、高野線(汐見橋~天見)などに分かれています。 5.「データで見るJR西日本」 JR西日本はHP上で最新のデータを公開しています。 データで見るJR西日本:JR西日本(2017/8/16現在) http://ift.tt/2hXOgiq p.56-59 区間平均通過人員および旅客運輸収入(平成26年度)(PDF形式 1,087KB)(2017/8/16現在) http://ift.tt/2x2YyRP 平均通過人員が路線別、区間別に細かく公開されています。表の下の注記に、平均通過人員=各路線の年度内の旅客輸送人キロ÷当該路線の年度内営業キロ÷年度内営業日数とあるため、営業キロと営業日数をかけると輸送人キロを出すことが出来ます。目次では平成26年度、となっていますが、pdfを開いた表の見出しは平成27年度と書かれています。 p.60-65 輸送(PDF形式 4,590KB)(2017/8/16現在) http://ift.tt/2xP9BCe 平成27年度の全体、在来線(近畿圏)、在来線(近畿圏以外)、新幹線の内訳に分かれた輸送人キロについてのデータです。(四捨五入されています。) [事例作成日:2017年8月10日] 参考資料:鉄道統計年報 平成23年度 国土交通省鉄道局‖監修 電気車研究会 2014.2, 参考資料:大阪都市交通要覧 平成25年版 関西鉄道協会都市交通研究所‖編集 関西鉄道協会都市交通研究所 2016.12, 参考資料:都市交通年報 平成25年版 運輸政策研究機構‖編集 運輸政策研究機構 2016.2, 参考資料:http://ift.tt/2x2xVMQ, (鉄道:鉄道統計年報 - 国土交通省) 参考資料:http://ift.tt/2xQLhQm, (民鉄各社紹介 日本民営鉄道協会) 参考資料:http://ift.tt/2hXOgiq, (データで見るJR西日本:JR西日本)
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平成25年の日本・アメリカ・中国の知的財産権の訴訟件数を知りたい。(大阪府立中央図書館)

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次の資料に掲載されていました。 『特許権等の紛争解決の実態に関する調査研究報告書(平成26年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書)』(知的財産研究所 [東京] 2015.3) 特許庁のホームページからも同資料をダウンロードして利用できます。(2017/8/16現在) http://ift.tt/2x2gP1W 【日本】 p.10  地方裁判所における知的財産権関連民事訴訟の新受件数 平成25(2013) 552件 高等裁判所における知的財産権関連民事訴訟の新受件数 平成25(2013) 148件 【米国】 p.68 米国連邦地方裁判所に提起された特許権侵害 2013年 6448件 【中国】 p.70 2013年 9680件 [事例作成日: 2017年8月16日] 参考資料:http://ift.tt/2x2gP1W, (特許権等の紛争解決の実態に関する調査研究報告書(平成26年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書)(2017/8/16現在))
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「異染性白質ジストルフィー(MLD)」についての資料を探している。(大阪府立中央図書館)

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「異染性白質ジストルフィー(MLD)」についての資料をご紹介します。 1.『先天代謝異常ハンドブック』(遠藤文夫/総編集 中山書店 2013.3) II 各論  6章 ライソゾーム病   異染性白質ジストルフィー p.220-221 SUMMARY   「異染性白質ジストルフィー(MLD、OMIM#250100)はライソゾーム酵素であるアリルスルファターゼA(ARSA)が欠損する疾患である。糖脂質の一種であるスルファチドはARSAによる分解受けることができずライソゾーム内に蓄積し、主に神経・精神症状、特に胆嚢病変をきたす。」 これに続いて、染色体劣性遺伝形式、臨床症状の発症時期、疾患頻度等の説明と、「代謝異常と病態」「臨床病型」「診断」「治療」「予後」の項目があります。   2.『ライソゾーム病 (最新の病態,診断,治療の進歩)』(衞藤義勝/責任編集 診断と治療社 2011.5) A 脂質代謝異常症  A-7 異染性白質ジストルフィー(MLD) p.169-172  なお、当館では所蔵していないため内容は確認できていませんが、次の文献もあるようです。 3.衛藤義勝「異染性白質変性症」『小児内科』(東京医学社 2009、41(増刊)) p.441-443 4.衛藤義勝「異染性白質変性症」『先天代謝異常症候群:病院・病態研究 診断治療の進歩 下(第2版)』(日本臨床社 2012.12) p.599-603 [事例作成日: 2017年8月16日] 参考資料:先天代謝異常ハンドブック 遠藤/文夫∥総編集 中山書店 2013.3, (220-221) 参考資料:ライソゾーム病 衞藤/義勝∥責任編集 診断と治療社 2011.5, (167-172)
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2017年9月29日金曜日

岐阜のことが英語で書かれている資料はないか(子ども向け)(岐阜県図書館)

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以下の資料を紹介した。 『Welcome!GIFU Land of Clear waters』(三省堂/編、岐阜県教育委員会、2015)…小中学生向けの副教材として岐阜県教育委員会が作成したもの。岐阜県内各地域の魅力、ふるさと自慢を英語で掲載。 その他、子ども向けではないが、岐阜を英語で説明した資料としては以下のものなどがある。 ・『GIFU : The complete travel guide』([岐阜県観光協会]、2013) ・『Enchanting Gifu city』(岐阜市、2015)…岐阜市の観光パンフレット ・『ぎふしまちあるきマップ[英語版]』([岐阜市の「まちあるきマップ」を作ろう実行委員会]、2006) ・『Wandering around Gifu』(Gifu Prefectural Project Group for Industry and culture Do-tank for Events and Culture 、2003)…岐阜を旅する内容の漫画
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労働契約法改正において、平成25年4月1日に施行されたいわゆる「有期労働契約者の無期労働契約転換ルール」 に対し、企業の取るべき対応(平成30年4月1日よりこのルールの対象者が発生する)を知りたい。(岐阜県図書館)

【外部リンク】
http://ift.tt/2wmhprK
以下の資料・情報源を紹介した。 ・『有期契約労働者の円滑な無期転換のために』(厚生労働省)  労働契約法改正についてポイントをまとめて解説。無期転換ルールへの対応について3つのステップにまとめてある(p6-7)ほか、5つの企業の事例が掲載されている。  http://ift.tt/2yKuE77 ・有期契約労働者の無期転換ポータルサイト http://ift.tt/2wndk6o  導入のポイントや導入企業事例(15社。岐阜県内は無し)が掲載されているほか、「事業主や人事労務担当者の方」のページには「無期転換で求められる企業の対応」、「いつまでに何をすればよいか」などの項目ごとに解説がある。  『有期契約労働者の円滑な無期転換のためのハンドブック』も掲載されている。 ・『「雇止めルール」のすべて』(渡邊岳著,日本法令刊,2012年発行)  雇止め法理の判例と解説をまとめたもの。  本書に紹介されている判例1件を含む雇止めに関する判例については、契約データベース「D1-law」での検索を案内。 ・『配転・出向・降格の法律実務』(石嵜信憲編著,加島幸法ほか著、中央経済社刊、2016年発行) 「第10章 昇進」の終わりに「実務のポイント」として、労働契約法第18条等に配慮して就業規則も規定するべきとし、規程例を掲載している。 (「実務のポイント」p566,「正社員等の就業規則上の規程例の違い」p568-585) ・『改正法に対応したパート、契約社員の活用と実務』(労務行政研究所編,労務行政刊,2014年発行)  改正労働契約法への対応等に関する、法的・実務的な対応方法をまとめたもの。 ・『待ったなし!2012年労働法改正と企業の実務対応』(大野事務所編著,労務行政刊,2012年発行)  社会保険労務士の視点から、改正内容のポイント等を整理。 ・企業からの相談業務を行う専門機関「岐阜県産業経済振興センター」をあわせて紹介。 ※岐阜県産業経済振興センターウェブサイト  http://ift.tt/2yJtUzg 回答プロセス:・「労働」「契約」「労働契約法」「改正」などをキーワードに蔵書検索。
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クロード・モネのジヴェルニーにある邸宅「モネの家」の内部写真が掲載されている資料はないか。インテリアの参考にしたい。(岐阜県図書館)

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以下の資料に掲載されていた。 ・『芸術家の家』(ジェラール=ジョルジュ・ルメール/文、ジャン=クロード・アミエル/写真、西村書店、2012.1)   p.144-159 「モネ」 ・『芸術家の愛した家』(池上 英洋/[著] 、エクスナレッジ、2016.12)   p.98-103「モネの家」 ・『モネの庭へ』(南川 三治郎/写真・文、世界文化社、2014.4)   p.108~「第7章 モネの家」 ・『ヴィヴァン 新装版・25人の画家7 モネ』(講談社、1995)   「図説・モネの生涯」の一部に、見開きでモネの家が紹介されている(当該ページにはページ付けなし) 事前調査事項:クロード・モネ財団ウェブサイト「モネの家」 http://ift.tt/2yKnHmz
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岐阜県内で発生した労働災害の事例を知りたい。(岐阜県図書館)

【外部リンク】
http://ift.tt/2yJfM97
冊子資料では事例を見つけられず。 厚生労働省岐阜労働局ウェブサイトに「岐阜県における労働災害統計」(「労働者死傷病報告」による「休業4日以上の死傷数」の統計)があり、うち「死亡災害の概要」に具体的な事例が掲載されていた。  岐阜労働局 岐阜県における労働災害統計  http://ift.tt/2wlWR2F 厚生労働省ウェブサイトには、「労働災害発生状況」として統計数値が掲載されている(県別ではない)。  厚生労働統計一覧>労働災害発生状況 http://ift.tt/2yKgDX1 回答プロセス:1.郷土資料から、労働関係資料、『衛生年報』等を調査したが、労働災害の事例はなし。 2.『岐阜県統計書』に掲載されていた労働災害の統計の出典を参考に、岐阜労働局の資料およびウェブサイトを確認。
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奈良時代に飛騨国の国司であった粟田道麻呂に関する史跡(神社、墓所など)・伝承を知りたい。郷土資料に関係する記述がないか。(岐阜県図書館)

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以下の資料を紹介した。 ・『国府町史 通史編1』(国府町史刊行委員会、2011年刊)  p.158-159「粟田道麻呂の死」の項目に「現在名張区一之宮に摂社粟田神社〔図6〕がある」とあり、図6(粟田神社の写真)が掲載されている。 ・『国府町の文化財』(国府町教育委員会、1972年刊)  p.34-35に「粟田道麻呂」の項目があり、「いま名張の一之宮神社に合祀されているが、近年まで名張には粟田社があってその霊を祀り、また付近には道麻呂幽居の跡と伝えられるところも残っている」と記述あり。 ・『国府町ふるさとガイドブック』(高山市国府支所地域振興課、2015年刊)  p.8に「一之宮神社」が掲載されており、解説に「境内社として昭和8年に合祀された荒神社(旧地は字寺洞)・諏訪神社(旧地は字諏訪洞)・粟田神社(旧地は字明石)」、「粟田神社の旧地には、かつて『粟田道麻呂配流の地』という標柱が立っていた。」との記述がある。 ・『飛騨の神社』(飛騨神職会、1987年刊)  p.680-685に「一之宮神社」の項目があり、鎮座地、祭神、由緒、祀職、祭祀、境内社、境内配置図などを掲載。    ・『飛騨国府シンポジウム 第3回』(国府町、1994年刊)  シンポジウムの開催要項と思われる資料。p.17-19に「粟田道麻呂と名張伝説」(国府史学会会長 加藤英司)の関連資料が掲載されており、「何故に国府町名張字石原1,632番地に粟田道麻呂配流の地の伝承があり、昭和8年岐阜県の方針により、粟田社が一之宮神社に合祀されたのか、以下の資料等を中心にその謎にせまってみたい。」と書かれているが、それに関する見解や結論は記述なし  また、以下の資料にも粟田道麻呂に関する記述がある(上記資料と重複する内容や、史跡・伝承以外の内容)。 ・『国府村史 全』(国府町教育委員会、1984年刊)p.180-181 ・『宮川村史 通史編上』(宮川村誌編纂委員会、1981)p.324 ・『飛騨 よみがえる山国の歴史』(大巧社、1997年刊)p.43-44 ・『飛騨人物考』(松浦潮)p.27  以下の資料については、記述がみられなかった。 ・『飛騨国古蹟考』 ・『飛州志』 ・『飛騨国中案内』 回答プロセス:岐阜県人物文献索引を検索。該当した『宮川村誌 通史編 上』(宮川村誌編纂委員会、1981)p.324の記述により国府町名張に関係があることがわかり、『国府町史』などの国府町関係資料、飛騨の地誌を中心に調査。  岐阜県人物文献索引(岐阜県図書館Webサイト「詳細蔵書検索」にて「人物文献」にチェックを付して検索)  http://ift.tt/2wmaRcp
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「岐阜民友新聞」について、概略のわかる資料はないか。(岐阜県図書館)

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小木曽旭晃「つぶれた岐阜民友」(「生活と文化」185号、1962.12、p.2-3)に、創刊から終刊に至る経緯が記されている。 この資料によると、郷土唯一の日刊紙"岐阜日日"の対抗紙として、1960年の夏に創刊。大野伴睦氏の主導により、県下の政財界の有力者が参加して株式組織を形成した。社員の大部分は岐日(岐阜日日新聞)から引き抜いたもので、特色がなく赤字がふくらみ、岐日と合併が成立し、1962年10月末で終刊した。 回答プロセス:蔵書検索システムを「岐阜民友」で検索。郷土関係雑誌記事より関係資料を調査。 「岐阜民友新聞」原紙も創刊(創刊前の見本紙も含む)から終刊まで所蔵。 なお、以下の資料(岐阜県下の出版文化に関するもの)、大野伴睦氏の伝記資料も調査したが、記述がみられなかった。 ・『濃飛文化史』(小木曽旭晃著、岐阜タイムス、1952) ・『岐阜県教育史』(岐阜県教育委員会) ・『岐阜県百科事典』上・下(岐阜日日新聞社、1968) ・『岐阜県史』(岐阜県) ・高橋健「岐阜県内外の出版事情試論(上)-近世・近代を中心とした概略」(「郷土研究岐阜」81号、岐阜県郷土資料研究協議会、1999) ・高橋健「岐阜県内外の出版事情試論(下)-近世・近代を中心とした概略」(「郷土研究岐阜」82号、岐阜県郷土資料研究協議会、1999) ・高橋健「県内発行の雑誌試論 -戦後六十年が一本の線につながる-」(「郷土研究岐阜」100号、岐阜県郷土資料研究協議会、2005)
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1945年頃の全国および岐阜県の無灯火村(電灯が引かれていなかった村)の数を知りたい。(岐阜県図書館)

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『へき地未点灯解消のあゆみ』(僻地未点灯解消記念会、1967、 国立国会図書館デジタル化資料送信サービス参加館公開)p.229に、表「未点灯部落調査」があり、昭和23年調査による未点灯部落数と戸数(県別)が掲載されている。 回答プロセス:1.以下の図書資料を調査したが、該当する記述なし。 ・『中部地方電気事業史』上巻・下巻(中部電力、1995) ・『岐阜県史 通史編・近代下』(岐阜県、1972) ・『時の遺産』(中部電力、2001) ・『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第1回、第3回~第13回(中部産業遺産研究会) 2.国立国会図書館リサーチ・ナビ、レファレンス協同データベースを「無灯火村」「電気 統計」等で検索するが、該当なし。 3.Googleを「無灯火村 数 日本」で検索。検索結果から、Ciniiの公開論文「離島の灯りと公共性」(小坂直人著、北海学園大学経済論集 第52巻第4号(2005年3月))の参考文献より『へき地未点灯解消のあゆみ』の書誌事項を得て調査。
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大垣別院(昭和20年に焼失)の写真、笠松別院本堂(昭和49年に焼失、真宗大谷派)の写真や資料はないか。(岐阜県図書館)

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以下の資料を紹介した。 【大垣別院】 ・『内田仙司翁』(上田純明編、内田司発行、1939)…口絵写真(本堂、内陣各天井、表門)、p.77に西門の写真を掲載。 ・『揖斐川町ゆかりの人物』(揖斐川町教育委員会,揖斐川町人物に関わる読み物の編集委員会編、揖斐川町、2009.2)…p.32-34に「内田仙司」の項目があり、p.33に大垣別院本堂の写真を掲載。 【笠松別院】 ・『笠松町史 下巻』(笠松町公民館、1957)…p.464-465に「東別院」として記述あり。 ・『かさまつ百年』(かさまつ百年編集委員会編、笠松町文化協会、1990)…p.86に全焼前の本堂(全体像ではない)、全焼時の本堂の写真と新聞記事を掲載。 ・『岐阜県真宗史』(林周教著、美濃文化研究所、1961)…p.80に「笠松別院」として2行の記述あり。 備考:内田仙司:岐阜県揖斐川町出身の宮大工。大垣別院など多くの寺院建築を手がけた。(参考:『揖斐川町ゆかりの人物』揖斐川町、2009)
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岐阜市の特定箇所の地質(地下10メートル程度まで)がわかる資料はないか。(岐阜県図書館)

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以下の資料を提供した。 ・『土地分類基本調査 岐阜』(岐阜県企画部土地対策課、1984)※縮尺5万分の1   付属の「表層地質図」の裏面に「柱状断面図」があり、68箇所の調査地点について、最大で地下約150メートルまでの地層が表示されている。   ※深さは地点により異なる ・『土地分類図(岐阜県)』(国土庁土地局、1975)※縮尺20万分の1   「土地分類図(表層地質図-平面的分類図-岐阜県)」の裏面に「柱状断面図」があり、岐阜県内の60地点について、地下60メートルまでの地層が表示されている。    ※深さは地点により異なる
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岐阜の方言で書かれた絵本はないか。(岐阜県図書館)

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郷土作家の本などの中から、以下の資料を紹介した。 ・『あほろくの川だいこ』(岸武雄/ぶん,梶山俊夫/え、ポプラ社、1974) ・『お月さんのんだ』(早船ちよ/文,石倉欣二/絵、ポプラ社、1976) ・『ぎふのむかしばなし』(岐阜県下呂小学校/制作、あい書房、童心社(発売)、1979) ・『坂内伝説・夜叉ヶ池』(桑原隆一/作画、坂内村教育委員会、1997) ・『だじゃれ日本一周』(長谷川義史/作、理論社、2009)…岐阜の紹介が含まれる
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明治天皇が来岐(岐阜に来訪)した時のルート、場所などがわかる資料はないか。また、目的は災害の見舞いではないか.(岐阜県図書館)

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明治天皇の来岐は、①明治11年の北陸東海両道巡幸、②明治13年に三重県に行幸する際に東濃地域を経由、の2回であり、どちらも災害の見舞ではなかった。 以下の資料を紹介した。(①は明治11年、②は明治13年について記述のあるもの) ・『岐阜県御巡幸誌』(西濃印刷出版部、1925)…①②    文語調のため読みにくいが、詳細な記述がある。 ・吉田義治「明治11年天皇の岐阜県御巡幸の概況 -明治期岐阜県庁事務文書「岐阜県御巡幸関係文書」より」(「岐阜県歴史資料館報」22号 p.149-162、1999.3)…①、「巡幸のねらい」などの記述あり。 ・『明治天皇行幸年表』(東京大学出版会、1982)…①:p.138~139、②:p.163 行先、昼食、休憩場所等の記載あり。 ・『明治天皇紀 4』(宮内庁/[編] 、吉川弘文館、1970)…①:p.544~548 ・『明治天皇紀 5』(宮内庁/[編] 、吉川弘文館、1971)…②:p.102~109 ・『多治見市史 通史編下』(多治見市、1980)…②:p.61~66 ・『明治六大巡幸』(長谷川栄子著、熊本出版文化会館、2012)…①:p.91 ・『明治盛世記念号』(岐阜県教育会事務所、1913)…①②:p.279~284 ・『岐阜県史 史料編 近代1』(岐阜県、1998)…①:p.461~ また、以下の資料も調査したが、明治天皇による災害の見舞については記述がみられなかった。 ・「明治の読売新聞」(CD-ROM)…分類を「皇室」で検索。被災地への見舞いの記事は見つからず。 ・『岐阜県災異誌』(岐阜地方気象台、1965) ・『岐阜県災害史』(岐阜県,岐阜新聞社出版局(発売)、1998) 回答プロセス:蔵書管理システムによる蔵書検索、岐阜県関係雑誌記事検索、岐阜県関係資料の目次検索により該当資料を調査。
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チェンバレンの『A handbook for travellers in Japan』に岐阜(岐阜駅)のことが出てくるらしい。その部分を見たい。(岐阜県図書館)

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1.『チェンバレンの明治旅行案内 横浜・東京編』(新人物往来社、1988)を確認。   …『A handbook for travellers in Japan』第3版の抄訳。巻末の解説より、以下のことが判明。  ・初版、第2版は、『中部および北部の日本旅行案内』(アーネスト=メーソン=サトウとアルバート=ジョージ=シドニー=ホースの共編)  ・第3版(1891[明治24]年刊)より『日本旅行案内』(バジル=ホール=チェンバレン、ウィリアム=ベンジャミン=メーソン編)  ・以降、第4版(1894[明治27]年刊)から第9版(1913[大正2]年刊)まで改訂・刊行  また、付録として第3版の総目次(邦訳)がある。「岐阜」の記載はないが、掲載箇所を「旅程」の「セクション3 中部日本」、「セクション4 東京と京都の間の旅程」の「38 東海道」あたりと推定(なお、東海道線は第2版発行から第3版発行前までの1889[明治22]年に開通している)。 2.『ネズミはまだ生きている』(楠家 重敏/著、雄松堂出版、1986)   チェンバレンの伝記。p.327-328に『A handbook for travellers in Japan』第3版の構成について記載あり。 3.Google Booksを書名『A handbook for travellers in Japan』で検索したところ、第3版が公開されていた。  「gifu」、「gifu station」で書籍内検索をし、p.268(SectionⅣの「38.The Tokaido」内)に「Gifu」の項を確認。 4.Cinii Books にて所蔵館を検索。同書第9版の復刻『Collected works of Basil Hall Chamberlian:major works:v8』(『B.H.チェンバレン著作集』(第1期:日本研究書籍集成)のvol.8、エディション・シナプス発行)があったため、所蔵館と相互貸借を案内した。 事前調査事項:池澤夏樹『知の仕事術』で取り上げられていた。 備考:チェンバレン(Chamberlain, Basil Hall,1850-1935)…イギリスの日本学者
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岐阜県内の市・郡ごとの宗派別寺院数がわかる資料はないか。(岐阜県図書館)

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『岐阜県統計書』(年刊、岐阜県環境生活部統計課発行)の平成28年版を確認。「市郡別・宗派別宗教法人数」が掲載されている。  岐阜県統計書デジタルアーカイブ…明治9年以降の『岐阜県統計書』を閲覧できる  http://ift.tt/2wn0J3o なお、岐阜県内の市町村別の宗教法人数は、岐阜県ウェブサイト(環境生活部県民生活課)にて、pdfファイルで公開されている。 ※ただし、岐阜県知事所轄の法人のみ(複数都道府県に境内建物がある文部科学大臣所轄の法人は含まれていない。)  岐阜県の宗教法人数(岐阜県ウェブサイト 2017年9月確認)  http://ift.tt/2yJnMqt
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岐阜県にあった陸軍の秘匿飛行場について書かれている文献(自治体史等)がないか。(岐阜県図書館)

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質問者の事前調査資料『本土航空作戦記録』第一復員局発行(国立国会図書館デジタルコレクションで公開、65コマ目)により、岐阜県内の飛行場の場所は関と大垣だったことがわかる。 関の飛行場については、『新修関市史 通史編近世・近代・現代』(関市教育委員会,1999年刊)に以下の記載がある(p.723)。 ---(引用始め)-------------------------- 昭和19年、食糧増産のため西田原字佐賀理の原野13~14ヘクタールを開墾したが、爆撃を避けるため飛行場の分散化が図られ、同年暮れより関町周辺の町村から勤労奉仕隊が毎日千人以上動員され、ここに双発飛行機の陸軍飛行場造りがなされた。また近くに180有余の横穴をつくり、司令部、無線局、兵舎等を加え、昭和20年4月に飛行場の完成をみた。しかし、軍事上「関牧場」と称され、秘密とされた。 ---(引用終わり 漢数字は数字に変換)------------------------ 大垣については、秘匿飛行場に関するものとはっきり分かる記載は見つからないが、飛行場の計画については以下の資料に記載がある。 ・『大垣市史 通史編近現代』(大垣市,2013年刊)p.450  東海航空株式会社大垣工場に関する記述の中に、「荒尾林に飛行場を作り、飛行機を組み立てて一貫生産する計画があったが、同年(※図書館注:昭和20年)7月の空襲により工場が焼失した」とある。 ・『水の都に火の雨が降る 大垣空襲五十年』(柳瀬博著・刊 1995年刊)p.35  「(12)東海航空機工業(株)大垣工場 荒尾町」の項目に、「本土決戦が叫ばれるようになって荒尾林に飛行場を作り、飛行機を組み立て特攻機を発進させる計画をしていた。」とある。 ・『ふる里宇瑠生熱く燃えた 昭和二十年の記録 大垣空襲六十周年』(柳瀬博著・刊 2006年刊)p.80  「八、愛知航空機の疎開」の項目に、「終戦直前には荒尾林の中に飛行場を作り、飛行機を組み立てて飛ばす計画をしていた。」とある。 【その他の調査済み資料】 ・『新修大垣市史 通史編2』(大垣市,1968年刊)  ・『火の海からの証言 岐阜・各務原・大垣空襲の体験記』(岐阜空襲を記録する会,1976年刊) 事前調査事項:・『本土航空作戦記録』第一復員局発行(国立国会図書館デジタルコレクションで公開、65コマ目)  「昭和20年4月以降の状況」として、工事に着手した飛行場があげられている中に「関、大垣」と記載されている。 ・『本土防空作戦』(戦史叢書)朝雲新聞社発行、1968 ・Wikipedia「秘匿飛行場」
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永禄年間に美濃国(武儀郡八幡村)から日野に移り住み、日野用水を開削したとされる「佐藤隼人」に関する資料はないか。斎藤道三の家臣らしい。(岐阜県図書館)

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所蔵の郷土資料からは、「佐藤隼人」について記述のある資料は確認できなかった。 武儀郡八幡村は、現在の関市武芸川町八幡(2005年の関市編入前は武芸川町)にあたり、その周辺地域に佐藤氏が存在していたことは町史等に記されている。八幡の人物としては、「佐藤石見守昌信」がおり、天正年間に相模国(佐野川村)に移ったことが以下の資料に書かれているが、「佐藤隼人」は永禄10年に日野用水を開削したとされており(『日本歴史地名大系13 東京都の地名』平凡社、「日野宿」の項)、石見守昌信の移住とは時期と地域が合わない。 参考情報として以下を回答。 ・『富加町史 下巻通史編』(富加町、1980)   p.225-226に「4 相模の佐藤氏」の項目があり、佐藤石見守昌信について記述がある。   p.207-224には、石見守昌信の父とされる加治田城主佐藤紀伊守忠能など、周辺の佐藤氏全体について記述があり、うちp.209-210には佐藤氏系譜が掲載されている。 ・『恩田氏資料抄録』(恩田滋/編・刊、2013)   編者が市町村史などを調査して関係資料をまとめたもので、出典も付記されている。   p.32-33「加治田の佐藤氏系譜(戦国期~江戸前期)」   p.34-35「相模の佐藤系図」   p.42-43「恩田先祖佐藤石見守系図」、「佐藤石見守昌信の妻たち」   p.52-53「富加町、加治田の佐藤氏」(p.52:佐藤紀伊守忠能について、p.53:佐藤石見守について)     ・『竜福寺史』(丹羽平一/編・刊、1978)   富加町加治田の龍福寺は紀伊守忠能の菩提寺。   p.15-18に「紀伊守卒去とその子孫」の項があり、p.17に石見守昌信について記述がある。 ・『家系宝鑑 佐藤姓の歴史』(佐藤清隆/著、佐藤家系研究所、1976)   定期刊行物と思われる、50ページ程度の資料。複製資料でページ付けがないため、以下、ページは1枚目から数えて記載。   p.25-34「十、落人伝説の里 相模国佐野川村の史跡探訪」   p.35-47「10、美濃国加治田城址と寺院めぐり」  なお、当館では所蔵していないが、同じ著者による『家系宝鑑 佐藤一族の系譜と伝承口碑の変容』(佐藤家系研究所、1976年12月、全286ページ)もある(内容未確認)。 備考:・『日本歴史地名大系13 東京都の地名』平凡社、「日野宿」の項より  「元禄一六年(一七〇三)の挨拶目録(佐藤信行家文書)によれば、美濃国から永禄年間(一五五八-七〇)に移住してきた佐藤隼人が、北条氏照から罪人の労力を提供されて同一〇年に日野用水を開削したと伝える。」 ・国土交通省京浜河川事務所 多摩川流域リバーミュージアム   多摩川の名脇役「20 日野用水」…「*2」に佐藤隼人について解説あり  (http://ift.tt/2yKlV4T
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1946年12月21日に発生した「昭和南海地震」について、岐阜県内の被害の詳細や、当時の状況について知ることができる資料はないか。(岐阜県図書館)

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以下の資料を提供。 この地震については、「昭和南海地震」のほか「南海道地震」など、資料によって名称が異なるため、以下、原則としてそれぞれの資料に書かれているとおりに記載。また、資料によって、死者数などの数値も異なっている。 1.『岐阜県災害史』(岐阜新聞社、1998年)   p.102-105に「南海道地震」という項目で記載がある。うちp.103-104には「被害の規模」として、各県の被害状況をまとめた「南海大地震被害一覧表」(出典:『南海大震災誌』)、県内各地の被害状況(出典:「岐阜タイムス」12月22日)などが掲載されている。 2.『日本被害地震総覧 -2001 最新版』(宇佐美龍夫著、東京大学出版会、2003年) p.335-340に「南海地震」として記述がある(番号509)。うち、p.339に「被害一覧」が掲載されており、死者、負傷者、住家の全壊・半壊、非住家の全壊・半壊、工場他の全壊・半壊、焼失家屋、田畑流浸水の数値が書かれている(出典:「内務省警保局公安第一課による」とあり)。 3.『南海大震災誌』(高知県、1949年)  p.224-227に「一、南海大地震被害一覧表(昭和二十一年十二月二十一日) 内務省警保局公安第一課」として、府県別の被害状況が掲載されている。上記の資料1の出典とされる図書で、資料2とも数値が一致する。 4.『岐阜県災異誌』(岐阜地方気象台、1965年)   年表形式の資料。p.61に「南海道地震」として、マグニチュード、岐阜の震度などのほか、被害状況(死者、負傷、家屋全壊、家屋半壊、家屋焼失、住家被害総坪数)が記載されている(出典:『気象要覧』)。資料1~3とは数値が異なる。 5.『創立百年史』(岐阜地方気象台、1981年)   p.140-141に南海道地震の発震時、震源、規模、岐阜の震度、県下の被害表が掲載されている。被害表の数値(死者、負傷者、家屋全壊、家屋半壊)は資料4と同じ。 6.新聞記事「写真は語る 目で見る岐阜の災害史 戦後編⑥ 南海地震①1946年」(岐阜新聞 2003(平成15)年9月9日 p.23)   死者数等被害状況について、『県災異誌』と『南海大震災誌』、当時の22日付「岐阜タイムス」の記事を比較。 7.『昭和21年12月21日南海道大地震調査概報』(中央気象台, 1947年)   国立国会図書館デジタル化資料(図書館送信限定資料)。   p.62に「岐阜縣被害表(県警察部公安課調)」が掲載されており、県内各地の死者数等が書かれている。上記資料1に書かれている県内の被害状況と数が異なる。    これらのほか、当時の状況については、1946年12月22日以降の新聞を閲覧可能。岐阜県図書館で所蔵しているものは以下のとおり。  岐阜版全紙面:岐阜新聞(当時は「岐阜タイムス」、マイクロフィルム)、朝日新聞(マイクロフィルム)  本社版:中日新聞(当時は「中部日本新聞」、縮刷版)、読売新聞(DVD-ROM)
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岐阜県内の揖斐川、長良川、木曽川において、過去にヤナ(梁)を行っていた場所、その歴史、当時のようすが書かれた資料はないか。また、現在のヤナについても同様に資料がないか。(岐阜県図書館)

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岐阜県図書館ウェブサイト「岐阜県関係資料の目次」にて、県内の市町村史等の目次を検索。 (岐阜県関係資料の目次 http://ift.tt/2yJDths 「梁」「簗」などで検索した結果、まとまった記述があったものは以下のとおり。   ・『岐阜県議会史』第1巻(岐阜県議会、昭和55年)   巻末に「付表4」として「簗漁場所等級表(明治18年度~29年度)」があり、1等から6等までの等級ごとに地名(川筋と村名)が書かれている。 ・『藤橋村史』上巻(藤橋村、昭和55年)    p.438-449に近世の簗漁に関する記述があり、うち、p.439-440には揖斐川上流で簗をかけていた村が地図で示されている。 ・『揖斐川町史』通史編(揖斐川町、昭和46年)    p.310-312に「鮎簗」の項目があり、主に房島簗と、簗に関する争論について記述されている。 ・『本巣町史』通史編(本巣町、昭和50年)    p.370-371に、根尾川水系の簗と、簗に関する紛争について記述がある。 ・『上矢作町史』民俗編(上矢作町、平成20年)    p.362-363に「簗漁」の項目があり、上矢作における簗漁の歴史が記されている。 ・『白鳥町史』現代編(白鳥町、平成16年)    p.348-349に白鳥観光ヤナ(平成7年オープン)について記述がある。 ・『昔日百話』(ニ村利明著、平成10年)    p.298-299に「梁の記録」の項目があり、馬瀬村おける昭和14年から23年にかけての梁について書かれている。 ・『岐阜県百科事典』下巻(岐阜日日新聞社、1968)    p.1503に「やな」の項目があり、ヤナの一般的な解説のほか、本県におけるヤナの設置認可数が各川の流域ごとに書かれている。    【その他の調査済み資料】  ・『木曽三川流域誌』(建設省中部地方建設局、平成4年) p.856-857に簗漁の解説あり  ・『ぎふ山の生活川の生活』(岐阜新聞社、1999) p.107に「ヤナ(簗)」の解説あり  ・『近世にみる揖斐川と人の暮らし展(収録)』(揖斐川町歴史民俗資料館、平成10年)p.20に「運上簗図」(絵画)の図版あり 備考:関連する内容として、以下の事例あり。 「「観光ヤナ」などの「ヤナ」について、歴史などが分かる資料はないか。」(岐阜県図書館、2015年07月15日) http://ift.tt/2wmksjC
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菊花賞(競馬)の1941年の開催月日を知りたい。(岐阜県図書館)

【外部リンク】
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『中央競馬重賞競走大全』(中央競馬重賞競走研究会/編、あおば出版、2006.12)を参照。p.226に記述あり(1941年10月26日)。 当時の名称は菊花賞ではなく「京都農林省賞典四歳呼馬」。 回答プロセス:1.JRAのウェブサイトを「菊花賞」でサイト内検索。第1回からの優勝馬等成績が見られるが、当該年については開催年月日を確認できず。 2.『中央競馬重賞競走大全』を参照。開催年月日と賞の名称を確認し回答。 3.新聞記事も見たいとのことだったため、朝日新聞縮刷版、読売新聞CD-ROMを確認したが、該当する記事は見つからなかった。
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岐阜県内すべての焼却場付近の大気中のダイオキシン量測定結果がわかる資料はないか。県の公開した資料があるとよい。(岐阜県図書館)

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1 『環境白書』(岐阜県環境生活部環境生活政策課/編、岐阜県)の平成26年版~28年版を参照。   「ダイオキシン類常時監視結果」が掲載されているが、焼却場については「発生源周辺土壌」として各年につき1~2ヵ所、周辺土壌の測定結果であり、大気中の測定結果ではなかった。 2 岐阜県ウェブサイトを参照。   くらし・防災・環境 > 環境 > 環境保全 の「大気環境保全」の項目に「ダイオキシン類自主測定結果」があり、平成18年度分から27年度分までの測定結果が公開されている。個々の事業所からの測定値は「別表」に掲載されている。    岐阜県:ダイオキシン類自主測定結果 http://ift.tt/2wmtNbn
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幕府や諸藩の家譜集の成立過程について研究した論文を探したい。幕府の「寛政重修諸家譜」や、各藩で最初に編纂された家譜がなぜ必要となったのかを調べている。(岐阜県図書館)

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1 系図に関する文献の目録として、以下の資料を紹介。  『系図文献資料総覧』増補改訂 丸山浩一編 緑蔭書房発行 1992年刊   系図の基本史料、参考文献、関連文献、単行本・雑誌記事などに分類して収録。戦後発表された雑誌記事の一覧を、次の部分に掲載。  ・「第五部 単行本・雑誌記事 二 雑誌記事」(p678-714)   (1979年10月までに発行された雑誌掲載分)  ・「第八部 諸家別姓氏・家史・系譜 二 雑誌記事」(p774-842)   (1989年12月までに発行された雑誌掲載分)   論文の内容によって、「氏姓」「家臣団」「苗字一般」「系図一般」「地域の氏姓・系譜」などに区分。   例えば第八部の「系図一般」(p782-783)の項には論題名「江戸幕府の家譜編纂について」の雑誌記事等が掲載されている。 2 主に系譜に関する記事が掲載されている雑誌として、以下(復刻版)を紹介。  『系譜と傳記』1,2『國史と系譜』3 系譜学会編 近藤出版社復刻 1988年刊   …『系譜と傳記』は、『姓氏家系辞書』、『姓氏家系大辞典』(全3巻)を編纂した太田亮氏が編集した雑誌。    大正10年に創刊、途中で誌名を『國史と系譜』に改題して昭和3年まで発行。    各巻の巻頭に総目次があり、論題等を確認できる。 3 NDL-OPAC等での検索を案内  「家譜集」のほか、「家譜」「系図」「系譜」をキーワードとして検索(検索結果は2017年5月時点のもの)  ・NDL-OPACで論題名「家譜」で検索   → 「『寛政重修諸家譜』の呈譜と幕府の編纂姿勢」など109件該当  ・NDL-OPACで論題名「系図」、記事分類・種別「歴史・地理」として検索   → 「『寛永諸家系図伝』編纂における「延引」について」など47件該当 4 論文ではないが、参考として以下の資料を紹介。  ・『日本史大事典』(平凡社,1993年)「系図」の項(第2巻p1194-1198)、『国史大辞典』(吉川弘文館,1985年)「寛政重修諸家譜」の項(第3巻p859-860)などに、成立の経緯等がごく簡単に記されている。  ・『系図研究の基礎知識』全4巻 近藤安太郎著 近藤出版社発行   第3巻:近世・近代(1989年刊)、第4巻:総括(1990年刊)   本書は、国立国会図書館リサーチ・ナビ調べ方案内「日本の系図(系譜)集」に、「調べる際に参考になる文献」として紹介されている。 回答プロセス:1 国立国会図書館「リサーチ・ナビ」を「寛政重修諸家譜」で検索。「江戸時代の幕臣を調べるには」「日本の系図(系譜)集」が該当。「系図」「系譜」のキーワードを得る。 2 一般件名を「系譜」として所蔵資料を調査。『系図文献資料総覧』が該当。 3 リサーチ・ナビの「日本の系図(系譜)集」の「調べる際に参考になる文献」欄を参照。   『系図研究の基礎知識』が紹介されている。  4 『国史大辞典』『日本史大事典』の「系図」の項を参照。系図成立の経緯が簡略に記されている。   『日本史大事典』の「系図」の項には、太田亮が雑誌「系譜と伝記」「国史と系譜」を編集したことが記されていたため、所蔵している復刻版を紹介。 事前調査事項:NDLサーチにて「藩 家譜集」で検索。 NDL OPACにて雑誌記事を、論題名「家譜集」、記事分類・種別「歴史・地理-日本史-安土桃山・江戸時代」で検索。
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ヘボ(蜂の子、一般的にクロスズメバチの幼虫)の養蜂方法を知りたい。(岐阜県図書館)

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以下の資料を紹介した。 ・『だから「へぼ」はやめられない!』安藤啓治,風媒社,2009   第3章 へぼに魅せられて」(p122-169)に、飼育している方々の紹介とともに巣箱等の写真が掲載されている。 ・『スズメバチを食べる』松浦誠,北海道大学図書刊行会,2002   上記『だから「へぼ」はやめられない!』の参考文献としても挙げられている資料。  「Ⅷハチを飼う」(p263-289)に、飼育の歴史、飼い巣の方法などが紹介されており、旧山岡町や串原村の飼育の様子を写した写真なども掲載。   なお、p288-289には、岐阜県蚕糸研究所(現・岐阜県農業技術センター)でクロスズメバチ類を増殖利用するための飼育方法と生態をテーマに調査を3年間行ったとあるが、実際には1年間で、その報告が『岐阜県蚕糸研究所要報 第8号』(1998)p48-59に「天敵等要用昆虫(蜂等)の保護・増殖技術の開発研究 黒スズメバチ類の保護増殖試験」と題して掲載されている。 ・『日本大正村異聞』山田善久,岐阜新聞社,2009  「ヘボ(地蜂)騒動記」の著者(西尾亮平氏)の名前で当館所蔵資料を検索したところ本書が該当し、西尾氏が紹介されていた(「ヘボ博士のこと」)。「ヘボ博士のこと」とあわせて「ヘボを飼う」(p74-78)も掲載されており、飼い方についての説明がある。 ・『スズメバチの生活』有賀文章,大日本図書,1990  『スズメバチを食べる』の参考文献の一冊。「6 クロスズメバチの観察・飼育と自然界のハチ」の「飼育の方法」(p149-152)に飼育方法の説明が掲載されている。   ※以下は国立国会図書館デジタル化資料送信サービスで閲覧可能 ・『信州の村落生活 下』竹内利美,名著出版,1976  「地蜂の話-上伊那郡朝日村(辰野町)」(p268-277)に、「飼い巣」の方法等が紹介されている。 ・『インセクタリゥム』17(2)(194)インセクタリゥム編集委員会、1980  図書ではありませんが「クロスズメバチ 箱飼育のすすめ」(p36-39)という記事に箱飼育の方法が記載されている。 回答プロセス:1)「ヘボ」「はちのこ」「スズメバチ」のほか、事前調査済み資料の著者名等で当館蔵書、ルーラル電子図書館、ジャパンナレッジを検索。 2)国立国会図書館デジタル化資料送信サービスを「地蜂」「クロスズメバチ」で検索。 事前調査事項:西尾亮平著『ヘボ(地蜂)騒動記』は調査済み。 照会先:岐阜県農業技術センター
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洋裁の本で子ども(男児)のパジャマの作り方がわかる本はあるか(岐阜県図書館)

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身長等がわからないため、「子ども」をキーワードに検索し、以下の資料を紹介。 ・『子供のパジャマ Size 100~150cm』雄鶏社 2000年 ・『クライ・ムキのLaLaLa 3』クライ・ムキ 日本ヴォーグ社 2007年 ※サイズ90~140cm ・『モンテッソーリ教室から学んだ自立を助ける子ども服』クライ・ムキ 文化出版局 1999年 ※サイズ100、110、120cm ・『はじめて作るこども服』水野 佳子 雄鷄社 2007年 ※サイズ80・90・95・100cm ・『着やすいこどもの日常着』ブティック社 2001年 ※サイズ100~130cm ・『元気な子ども服』文化出版局 1989年 ※サイズ100~110cm ・『手作りパジャマ』佐藤 昌彦 グラフ社 1987年 ※2~7歳用 子ども服の本で、じんべえなどパジャマとしても使用できる衣服の作り方が載っている本は以下のとおり。 ・『作ってあげたい男の子服 Size 100・110・120cm』雄鷄社 2007年   ※シャツ、じんべえなど ・『子どもの服と雑貨づくり』しかのるーむ 青春出版社 2006年    ※じんべえ サイズ100~120cm
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江戸川乱歩、谷崎潤一郎の小説で発禁処分になった作品が確認できる資料はあるか。(岐阜県図書館)

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<江戸川乱歩、谷崎潤一郎> ・『検閲と発禁』水沢 不二夫 森話社 2016年   p.161~ 「Ⅳ‐11 佐藤春夫「律義者」、江戸川乱歩「芋虫」の検閲   人物索引には、江戸川乱歩、谷崎潤一郎の両氏の名前が挙がっており、章立てはしていないが一部記述がある。 ・『伏字の文化史』牧 義之 森話社 2014年   p.374~ 「六 谷崎の脚本検閲批判」   こちらも人物索引には、江戸川乱歩、谷崎潤一郎の両氏の名前が挙がっており、章立てはしていないが、一部記述がある。   ・『発禁本』3(別冊太陽)平凡社 2002年   p.265-295 書名索引、人名索引   1999年から2002年にかけて発行された『発禁本』全3巻の書名・人名総索引。   人名索引には江戸川乱歩、谷崎潤一郎の両氏も掲載されており、いずれも第1巻に掲載されている。 <江戸川乱歩のみ> ・『探偵小説四十年』江戸川乱歩 沖積舎 1961年  江戸川乱歩の自伝で、1~3年度ごとに章が分けられており、各年度のできごとがまとめられている。  昭和14年度の項には、「芋虫」の全篇削除を命じられたことを記載。(p271) ・『国立国会図書館所蔵発禁図書目録 1945年以前』国立国会図書館 1980年  戦後接収され米国議会図書館が保管、その後国立国会図書館に返還された発禁図書と、国立国会図書館に受け継がれた旧帝国図書館所蔵の発禁図書、約2200冊の目録。書名の五十音順に掲載。  巻末の著者名索引で谷崎・江戸川両氏を調べたところ、江戸川乱歩(黒蜥蜴)のみ掲載。 ・平成29年6月20日(火) 読売新聞 朝刊に「「恋文焼いた」乱歩の手紙」という記事があり、その中に「芋虫」についての記述がある。 <谷崎潤一郎のみ> ・『定本発禁本』城 市郎 平凡社 2004年   p.27~ 「〓風(ひょうふう)・細雪・その他・・・谷崎潤一郎」 ・『知っ得発禁・近代文学誌』國文學編集部 學燈社 2008年  p.205~ 「近代発禁関連略年表」  (明治43年、大正5年、大正6年、昭和18年の各欄に谷崎潤一郎の作品がある) この他、両氏の年譜にも一部「掲載禁止」「全篇削除」の記述が見られる。 ・『江戸川乱歩全集』14 講談社 1979年  巻末に年譜があり、「芋虫」全篇削除について記載。(p303) ・『谷崎潤一郎全集』第26巻 中央公論社 1983年 ・『現代日本文学全集 谷崎潤一郎集』筑摩書房、1954年   巻末の年譜に、発禁処分についても記載。 ※上記以外にも、次の資料で年譜が掲載されている図書を調べることができる。 『年譜年表総索引』日外アソシエーツ 1998年 また、昭和期の発禁処分を受けた出版物について網羅的に調べる資料として以下を紹介。 ・『昭和書籍雑誌新聞発禁年表』(上、中、下(1)、下(2)の全4巻)小田切秀雄ほか 明治文献   昭和元年(大正15年)から昭和19年に発禁処分を受けた出版物の目録。   昭和元年は1年分を、翌年からは各年月ごとに、単行本、新聞雑誌、外国語出版物の3部門に分類し、処分日付順に掲載。
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菊池一夫の「君の名は」について、ラジオドラマ版、小説版、映画版の発表順を知ることができる資料はないか。(岐阜県図書館)

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全てを一覧できるものは見つけられなかったが、以下の資料でそれぞれの発表時期を確認できる。 〈ラジオドラマ版〉  次の資料に放送期間が記載されている(ただし、終了日が異なる)。 ・『日本映画200 映画史上ベスト200シリーズ』キネマ旬報社、1982年 p.218~219「君の名は 第1部-第3部」の欄外上部に、  「NHK連続放送劇『君の名は』の開始は52年4月10日、終了は54年4月10日で、丸3年放送。」とある。 ・『菊田一夫 芝居つくり四十年』菊田一夫,日本図書センター,1999年  巻末の年譜(p251-253)の、  昭和28年の項に「4月10日、NHK連続放送劇『君の名は』ラジオ放送開始」、  昭和29年の項に「4月8日、『君の名は』放送終了」とある。 〈小説版〉  次の資料で出版年が確認できる(ただし、出版社、出版年等が異なる)。 ・『日本映画原作事典』日外アソシエーツ株式会社 2007年   p.180「君の名は」の項に宝文館出版の上下巻が掲載されている。  ただし出版年は上下巻ともに「1991年」とされている。所蔵している当該資料を確認したところ、新装版として復刻したもの。  (上巻は昭和27,28年に刊行した第1部と第2部の復刻、下巻は昭和28,29年に刊行した第3部と第4部の復刻) ・『日本現代文学大事典 作品篇』明治書院,1994年  p218-219「君の名は」の「初出・放送」の項に、「昭和27.4.13~昭和29.4.4「NHKラジオ新聞」。小説として宝文館刊(昭28)」とある。  ラジオの放送期間も記載(昭和27.4.10~昭和29.4.8)。 ・『日本の小説全情報 27/90上』日外アソシエーツ,1991年   本書は1927年から1990年に刊行された、小説・戯曲作品を可能な限り集めた目録で、著者の五十音順に排列されている。  p636-638「菊田一夫」の項に「君の名は」があり、春陽堂文庫出版が1959年に刊行したもの(第1部~第4部)と、河出書房新社が1985年に刊行したもの(第1部~第4部)が掲載されている。 〈映画、テレビドラマ〉 ・『映画・テレビドラマ原作文芸データブック』江藤 茂博 勉誠出版 2005年  本書は映像化された作品数が多い作家上位120名を五十音順に並べ、各作家ごとに映像化された年代順に作品を掲載したもの。  p.114~116に「菊田一夫」の項があり、「君の名は」についても、映画化・テレビドラマ化された都度、掲載されている。  なお、映画については次のとおり。詳細は本書の閲覧を依頼。  「君の名は」    1953.9  「君の名は 第二部」1953.12  「君の名は 第三部」1954.4 このほか、次の資料にも映画「君の名は」の公開時期に関する記述や記事がある。 ・『戦後キネマ旬報ベスト・テン全史』キネマ旬報社,1984年   42pに記載があり、1953年4月~54年3月の興行ベスト・テンで、「君の名は第二部」が1位となっている。   2位は「君の名は第一部」。 ・『日本映画作品全集』キネマ旬報社,1973年   p82「君の名は」 ・『ニッポン映画戦後50年』森卓也ほか,アサヒソノラマ,1995年  p50-51 昭和28年  p52-53 メディアと映画化 ・「菊田一夫と東宝演劇(7)現実を描く「君の名は」と大衆」  井上理恵,『テアトロ』2006年10月号(テアトロ,p39-44) ・「菊田一夫『君の名は』の女湯伝説はかく生れた」  野口鶴吉,『文藝春秋』1980年9月号(文藝春秋,p176-179) 事前調査事項:『現代世相風俗史年表』(河出書房新社,2009年発行)p55
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河川(信濃川、長良川、ナイル川、ミシシッピ川)の源流の標高を調べたい。(岐阜県図書館)

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以下の資料に標高について記載されていた。 ・『全世界の河川事典』(丸善出版、2013年) ・『川の百科事典』(丸善、2009年) 信濃川、長良川については上記資料に記述がなかったため、個別に以下の資料を調査し、記述を確認。 ・信濃川:『定本千曲川』(郷土出版社、2003年) ・長良川:『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』(角川書店 1980年) なお、以下の資料も調査したが、記述はみつからなかった。 ・『河川大事典』(日外アソシエーツ発行,紀伊国屋書店発売、1992年) ・『理科年表 第90冊(平成29年)』(丸善出版、2016年)
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『看聞日記』について知りたい。(近畿大学中央図書館)

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以下の資料がみつかった。 <辞典> 国史大辞典編集委員会編 『國史大辭典』 第1巻 - 第15巻下. 吉川弘文館 , 1979.3-1997.4 本館請求記号:210.033 - Ko53 かんもんぎょき 看聞御記 「後崇光院伏見宮貞成親王の日記。原題は『看聞日記』。(以下略)」 参考文献:横井清『看聞御記』(『日記・記録による日本歴史叢書』古代・中世編一六) <Webサイト> 国立国会図書館デジタルコレクション 
http://dl.ndl.go.jp/ (2017/09/28 確認) 看聞日記 宮内省図書寮 http://ift.tt/2yKsKDv(2017/09/28 確認) 画像の一般公開は一部分 [44]~[87] 応永23(1416)年~ 続群書類従. 第29輯ノ下 雑部 卷第八百六十九 雑部十九 看聞御記(看聞日記) 応永二三‐嘉吉三
http://ift.tt/2wmgMyn  (2017/09/28 確認) 日本古典籍総合目録データベース(国文学研究資料館)  http://ift.tt/2yJBp98 (2017/09/28 確認) 検索結果から、以下の写本が確認できた。 看聞御記 ( かんもんぎょき ) http://ift.tt/2wmcRl5(2017/09/28 確認) 看聞御記, K, 1, 日記, 伏見宮/貞成/親王( 後崇光院 ) , 5, 146123 
http://ift.tt/2yJeIC9(2017/09/28 確認) 書名: 看聞御記 請求記号: 20-504-2, 225コマ, A  所蔵者: 書陵部 http://ift.tt/2wmgNCr (2017/09/28 確認) 看聞御記, K, 1, 日記, 伏見宮/貞成/親王( 後崇光院 ) , 5, 146123  http://ift.tt/2yJtxVo(2017/09/28 確認) 書名: 看聞御記 請求記号: 20-552-3, 34コマ, A 所蔵者: 書陵部
http://ift.tt/2wmcS8D(2017/09/28 確認) 回答プロセス:国文学研究資料館  http://www.nijl.ac.jp/ (2017/09/28 確認) 日本古典籍総合目録データベース  http://ift.tt/2yJBp98 (2017/09/28 確認) 日本古典籍総合目録で検索した。 http://ift.tt/2wmcRl5(2017/09/28 確認) 著作ID 146123 統一書名 看聞御記 ( かんもんぎょき ), K, 1 巻冊 四四巻 別書名 [ 1 ] 看聞日記( かんもんにっき ) [ 2 ] 看聞記( かんもんき ) [ 3 ] 後崇光院御記( ごすこういんぎょき ) 分類 日記 著者 伏見宮/貞成/親王( 後崇光院 ) 国書所在 【写】国会(「伏見殿看聞御記」、応永三一‐永享九、三冊),内閣(応永二三‐文安五、応永十五年御幸記・別記共、有欠、明治写四四冊本二部),静嘉(「後崇光院御記」、嘉吉元‐三、一冊),宮書(応永二三‐文安五、自筆、四四軸)(応永二三‐文安四、目録・別記共、明治写四四冊)(応永二三‐嘉吉三、別記共、明治写二二冊)(抜萃、応永二三‐嘉吉三、嘉永六冷泉為紀写一冊)(抄、応永二三‐三二・正長二‐永享一〇・嘉吉元‐三、天保五久世通理写一冊)(抄、応永二三‐嘉吉三、弘化四柳原隆光写一冊)(抄、応永三一・三二・正長二‐永享一〇・嘉吉元‐三、二冊)(毫埃一),宮書伏見(応永一〇・二三・二四、江戸末期写三冊)(抄出、御香宮事、応永二三‐永享一二、自筆、二冊)(抜書、応永二三・二四、貞敦親王写一軸)(別記、自筆、一〇軸),京大(応永二三‐二九、七巻目録一巻八冊)(応永三〇‐永享七、巻八‐二三、一六巻一六冊)(巻二四‐四三、二〇冊),国学院(「後崇光院看聞記」、三巻三冊)(万延二写一冊),東大(一冊),京都府(応永二三‐嘉吉三、三冊),彰考(「看聞日録」、二冊),神宮(応永二三‐文安五、四三冊)(「後崇光院御記」、明治七写四冊),石泰(四二巻七冊),無窮神習(抄、六冊),陽明(応永二三‐永享九、三冊)(抄、応永二四・永享八、寛文二奥書、重美),田中允(六冊),[補遺]静嘉(応永二三‐文安五、応永十五年行幸記・文安四至宝徳二年記・別記共三三冊),東洋岩崎(「顕朝卿記并後崇光院宸記抄」、広橋兼秀写一軸) 【複】〔活〕続群書類従補遺・[補遺]図書寮叢刊看聞日記紙背文書別記〔複〕看聞日記(宮内省図書寮、昭和六‐一〇) コトバンク 
https://kotobank.jp/ (2017/09/28 確認) 看聞御記 かんもんぎょき ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
http://ift.tt/2yKleZl (2017/09/28 確認) 参考資料:日本古典籍総合目録 国文学研究資料館
http://ift.tt/2wmgO9t(2017/09/28 確認), 参考資料:日本古典文学大事典 / 大曾根章介[ほか]編 明治書院 , 1998 ISBN:4625400740 p.290, (本館請求記号:910.33 - N71)
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京都府庁前あたりにある「滋野井(しげのい)」と,「白峯神宮(しらみねじんぐう)」との関係について知りたい。(京都市図書館)

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「滋野井」とは,平安初期の公卿,滋野貞主(しげのさだぬし)が住んでいた邸宅,または邸宅内にあり,都七名水にも数えられた井戸の名称です。現在は井桁がわずかに残存しています。 滋野貞主以後の邸宅の沿革はあまり明らかではありませんが,11世紀前半に藤原公成の邸宅となり,またその娘藤原茂子の里邸ともなりました。その後,蹴鞠の達人として知られる藤原成通(ふじわらなりみち)の別邸となりました。 滋野井の邸内には精大明神(せいだいみょうじん)が祀られており,一説によると,後鳥羽院の勧請とも言われています。精大明神は『成通卿口伝日記』や『古今著聞集』にもみえる蹴鞠の神で,藤原成通が千日間にわたって蹴鞠上達の願をかけたところ,祭壇に置いた鞠が転がり落ちてきて,藤原成通の前に現れたと言われています。 また【資料5】によると,蹴鞠の神「精大明神」は,蹴鞠の達人である藤原成通に贈られた神号であるともされています。 一方,「白峯神宮」は,京都市上京区飛鳥井町にある神社で,崇徳天皇・淳仁天皇を祭神として祀っています。社地はもと飛鳥井氏の別邸で,境内には飛鳥井氏の鎮守神で蹴鞠の神である精大明神が祀られており,現在でも精大明神の祭日と定められた七夕の日には蹴鞠の技が奉納されます。 白峯神宮の精大明神は,【資料4】【資料13】によると,滋野井の精大明神から白峯神宮に移したとされています。 また【資料8】によると,もとは堀川通丸太町に祀られていた精大明神を,飛鳥井氏の祖である藤原雅経(ふじわらのまさつね)が自身の邸宅の近くに移したともされています。 回答プロセス:●京都の事典より・・・【資料1~3】 【資料1】p602「滋野井跡」の項に詳しい記述あり。 【資料2】p30滋野井第について詳しい記述あり。 ●京都の寺社に関する資料から・・・【資料3】p382「白峯神宮」の項 白峯神宮の基礎情報あり。"社地はもと飛鳥井氏別邸であった""境内には,蹴鞠の家として知られた飛鳥井氏の鎮守神で,蹴鞠道の神である精大明神が祀られている" ●オンラインデータベース「ジャパンナレッジlib」で"精大明神"を検索。 「東洋文庫」より『改訂 京都民俗志』に載っているとわかる。・・・【資料4】 ●【資料4】p23「滋野井」の項に詳しい記述あり。 "井戸の上に蹴鞠神の小祠が祭られていて,精大明神と称されていたこともあるが,今は上京区今出川通り堀川東入る飛鳥井町の白峯神宮の内へ移されている" p67「都七名水」の項,p193「猿」の項,p275「祝園村」(ほうそのむら)の項に滋野井に関する記述あり。 ●"蹴鞠"のキーワードで当館所蔵資料を検索。・・・【資料5・6】 【資料5】p24"名足として声誉高き大納言成通が「蹴鞠の精の神」と尊崇されるようになつて,「精大明神」の神号が贈られるとともに,その社殿も造営された" 【資料6】p22藤原成通が蹴鞠の名足として知られたこと,その弟子の頼輔も名足で,孫の宗長が難波家を継ぎ,その弟の雅経が飛鳥井家を興して共に蹴鞠の宗家として伝承されたことが記載されている。 ●神社の縁起や由来に関する資料から・・・【資料7・8】 【資料7】p251「白峯神宮」の項,「鞠の精大明神」の説明 成通の前に精大明神が姿を現した伝説についての記述あり。 【資料8】p378「精大明神」の項 "鞠之精大明神を祀る京都市上京区の白峯神宮は,後鳥羽上皇の蹴鞠師範で,蹴鞠長者といわれた藤原宗長(難波家祖)とその弟雅経(飛鳥井家祖,『新古今集』の撰者の一人)が,堀川通丸太町に祀られていた精大明神を,両家の近くの今出川通に移したものと伝えられる" ●【資料7】の参考文献より・・・【資料9・10】 【資料9】p393『成通卿口傳日記』に鞠の精が現れる場面の描写あり。 【資料10】p233『古今著聞集』に鞠の性が現れる場面の描写あり。 ●京都の地理・地名に関する資料より・・・【資料11】 【資料11】p136「山城名勝志巻之三」の「滋野井社」の項に,鞠の性が現れる場面の描写あり。(『古今著聞集』の引用) ●過去の新聞記事を調べる。 オンラインデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞),「Gサーチ」(京都新聞)で"滋野井"を検索。 【資料12】(最終確認日:2017年7月6日) ●"名水"のキーワードで当館所蔵資料を検索。・・・【資料13】 【資料13】p37「滋野井」の項に,滋野井の邸宅や名水,精大明神について記述あり。 "後鳥羽上皇も蹴鞠の上手で,「滋野井」のほとりに鞠の神,精大明神の社を建てさせている。のちに飛鳥井家が自分の邸内に勧請して,現在も白峯神宮に祀られているが,元の社の方はいつの頃かに廃滅してしまった" 参考資料:【資料1】『日本歴史地名大系 27』(平凡社 1979)p602, 参考資料:【資料2】『角川日本地名大辞典 26 京都府下巻』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982)p30, 参考資料:【資料3】『京都・山城寺院神社大事典』(平凡社/編 平凡社 1997), 参考資料:【資料4】『京都民俗志』(井上 頼寿/著 平凡社 1968)p23,67,193,275, 参考資料:【資料5】『京都郷土芸能誌』(京都市産業観光局観光課/編 京都市 1953)p24, 参考資料:【資料6】『日本の蹴鞠』(池 修/著 光村推古書院 2014)p22, 参考資料:【資料7】『社寺縁起伝説辞典』(志村 有弘/編,奥山 芳広/編 戎光祥出版 2009)p251, 参考資料:【資料8】『日本神祇由来事典』(川口 謙二/編著 柏書房 1993)p378, 参考資料:【資料9】『群書類従 第19輯』(塙 保己一/編纂 続群書類従完成会 1979)p393, 参考資料:【資料10】『国史大系 第19巻』(黒板 勝美/編輯 吉川弘文館 2000)p233, 参考資料:【資料11】『新修京都叢書 第13巻』(野間 光辰/編,新修京都叢書刊行会/編著 臨川書店 1968)p136, 参考資料:【資料12】「滋野井の井桁後世に 上京・平安期からの名水 所有者,地元寄付の意向」(2016.11.21 京都新聞 夕刊p1), 参考資料:【資料13】『京洛名水めぐり』(駒 敏郎/著 本阿弥書店 1993)p37,
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尾形光琳(おがたこうりん)の墓について調べている。(京都市図書館)

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尾形光琳(1658-1716)は,江戸時代の画人です。琳派を大成した人物でもあり,代表的な作品として「風神雷神図屏風」や「紅白梅図屏風」などがあります。 光琳の墓は2つ存在しています。一つは光琳(尾形家)一族の墓,もう一つは画家・酒井抱一(さかいほういつ)が建立した墓です。場所については,以下のように変遷していきます。 光琳は亡くなった後,現在の京都市上京区にあったとされる宿坊の興善院に葬られました。その後,興善院は墓のみを残してなくなり,墓は妙顕寺(みょうけんじ)の塔頭・本行院の管理下に入りますが,その本行院もなくなり,京都市上京区の妙顕寺総墓地に移されました。さらに,昭和37年(1962)には,妙顕寺総墓地から妙顕寺の塔頭・泉妙院へ墓を移し供養塔も建立されました。 また,酒井抱一は文政2年(1819)に本行院跡(妙顕寺の塔頭・善行院)に墓を建立しました。【資料8~10】 なお,【資料2】によると,妙顕寺の塔頭・泉妙院に光琳一族の墓と酒井抱一が建立した墓が並んでいるとあります。 墓の写真 白黒・・・【資料2】「尾形光琳墓」      【資料5】「図15 泉妙院の尾形光琳墓所」,「図16 酒井抱一修覆の光琳墓」など      【資料8】尾形家の注に「光琳および一族の墓」      【資料10】「泉妙院境内に建立されている尾形光琳一族の墓」      【資料11】「尾形光琳の墓―寺ノ内通新町西入ル妙顕寺本院内善竹院―」 カラー・・・【資料7】「尾形光琳の墓所(泉妙院)」 回答プロセス:●墓の所在などを調べるために,【資料1】を確認  p136~137「尾形光琳」項に,"墓所は上京区寺之内新町の妙顕寺"とある。  p892~893「妙顕寺」項に,"尾形乾山・光琳兄弟の墓がある"。 ●墓の所在より,京都市上京区地域の資料を確認  【資料2】p14"妙顕寺"項に,東隣の塔頭泉妙院に,光琳の百回忌の文政2(1819)年に酒井抱一が立てた墓があること,また,寺内の総墓地から移された光琳一族の墓と並んでいるとある。  墓石に書かれている文字の記載がある。 ●京都市図書館の所蔵を検索  キーワード"尾形光琳"  【資料3】年表の享保1年(1716)に,"六月二日没。妙顕寺興善院に葬られる。"とある。  【資料4】p40"菩提寺の妙顕寺興善院に葬られた"とある。  【資料5】明治時代に三越呉服店が,泉妙院の光琳の墓所を90年間に渡って永代供養する契約を結んだ話や,当時の墓の様子の記述がある。  キーワード"妙顕寺"  【資料6】光琳が妙顕寺の檀信徒であることや,塔頭寺院の一つに墓があるが非公開とある。  キーワード"琳派"  【資料7】p174妙顕寺の紹介の中で,塔頭の泉妙院に光琳と弟・乾山の墓があり,門の外から眺めることができるとある。 ●京都の地誌を確認  【資料8】p167妙顕寺の"尾形光琳墓"項に,善行院の南と,妙泉院の境内の2ヶ所にあることと,設置の経緯がある。  【資料9】p58妙顕寺の"尾形光琳墓"項に,酒井抱一が再建した墓が,"方丈の東,塔頭善行院の南隣り"にあるということや,墓の素材や表面に書かれている文字についても記述がある。   なお,光琳が亡くなった後,"妙顕寺の塔頭本行院の墓地に葬ったが,その後,院は廃止され墓のみが残った"とある。   また,"境内西北隅にある総墓地内,中央祭場の北側に,尾形家一族の塋域があって,そこにも光琳の墓や父宗謙・弟乾山等の墓がある"とある。 ●墓碑関連の資料を確認  【資料10】墓の場所の変遷があり,特に泉妙院の墓については,"昭和三十七年,総墓地より古い墓を移し,さらに同五十七年有志の人々によって,光琳・乾山両人の供養塔(宝塔)が建立され"とある。  【資料11】墓が"妙顕寺本院内の善竹院墓地にある"ことや,墓に書かれている文字の記載がある。  【資料12】p87尾形乾山(けんざん)の注に,尾形家の菩提寺の変遷とともに墓も,興善院,本行院,泉妙院となったとある。 参考資料:【資料1】『京都大事典』(佐和 隆研/[ほか]編集 淡交社 1984)p136~137"尾形光琳",p892~893"妙顕寺", 参考資料:【資料2】『上京区の史蹟百選』(上京区文化振興会/編 上京区民ふれあい事業実行委員会 1999)p14"妙顕寺", 参考資料:【資料3】『尾形光琳』(尾形 光琳/[画] 新潮社 1996)p93"一七一六 ", 参考資料:【資料4】『もっと知りたい尾形光琳』(仲町 啓子/著 東京美術 2008)p40, 参考資料:【資料5】『生きつづける光琳』(玉虫 敏子/著 吉川弘文館 2004)p80~82, 参考資料:【資料6】『非公開文化財特別公開ガイドブック 京の冬の旅 第49回』(京都市観光協会/[編] 京都市観光協会 [2015])p18~19"妙顕寺", 参考資料:【資料7】『花ひらく琳派』(京都新聞出版センター/編 京都新聞出版センター 2016)p174, 参考資料:【資料8】『昭和京都名所図会 5 洛中』(竹村 俊則/著 駸々堂出版 1984)p167"尾形光琳墓", 参考資料:【資料9】『新撰京都名所図会 巻3』(竹村 俊則/著 白川書院 1962)p58"尾形光琳墓", 参考資料:【資料10】『京の墓碑めぐり』(竹村 俊則/著 京都新聞社 1985)p112~144"41 尾形光琳", 参考資料:【資料11】『京の墓』(真下 五一/著 朝日新聞社 1969)p160~161"尾形光琳", 参考資料:【資料12】『京の名墓探訪』(高野 澄/文 淡交社 2004)p87注"尾形乾山",
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すぐき漬けについて詳しく知りたい。(京都市図書館)

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すぐき漬けは,京都市北区上賀茂地域の特産であるすぐき菜を,丸ごと塩だけで漬けたもので,乳酸発酵の酸味と甘味が凝縮された独特の風味を持つ,京都特産の漬けもののひとつです。 漬けものとしては珍しく,古い文献に名前を残しており,江戸初期の資料『日次紀事(ひなみきじ)』から"酸茎(すぐき)"という名が確認できます。 <起源>【資料1,5~7,11,13】 ①上賀茂神社の社家が鳥射ちに出かけた際に,賀茂河原で自生している蕪に良く似た植物を裏庭に植栽したという,賀茂を原産とする説。 ②京都御所に仕えていた上賀茂神社の社家が,宮中より種子を貰い受けて栽培したという,外来説。 <歴史>【資料3,4,13,14】 江戸期には,上賀茂神職の社家の屋敷内のみで栽培・加工し,自家用や武家の間で自慢の贈り物として珍重され,種などを他所へ持ち出すことは禁じられていました。 明治期より農家でも栽培が始まりました。明治26年(1893),上賀茂深泥池(みどろがいけ)地域の大火事後の復興対策事業として,すぐき菜の増産・商品化が奨励され,大正期の好景気によって一気に広まりました。 <製法>【資料2,8,9,12】 ①10~11月頃にすぐき菜を収穫します。 ②葉をつけたまま水洗いし,かぶら部分の皮を剥きます。 ③樽にすぐき菜と塩を交互に漬け込み,1日程重圧を加えて漬けます。 ④一度樽から出し,水洗いしたすぐきを再び樽に渦巻状に並べ,塩を交互に樽いっぱいになるまで漬け込みます。 ⑤天秤の片側に重石をくくりつけた仕掛けで,強い圧力を加えて漬け込みます。 ⑥漬け込む事でかさが減り,できた空間にすぐきを何度か追加します。 ⑦追漬け後,藁で樽のふたの間を詰め,室(むろ)と呼ばれる密閉空間の中に入れ,発酵を促進させ完成です。 <写真> ●白黒写真・・・【資料1】【資料5】【資料6】【資料7】【資料12】【資料14】 ●カラー写真・・【資料8】【資料9】【資料10】【資料15】【資料16】 回答プロセス:●"すぐき"で当館所蔵資料を検索。 【資料1】起源,栽培法が記載。天秤漬けの様子の白黒写真あり。 【資料2】漬け方について詳しい。 【資料3・4】酸茎が江戸期の様々な資料に掲載されていることについて詳しい。 ●"蔬菜(そさい)"で当館所蔵資料を件名検索。 【資料5】起源,品種,気候,栽培法について詳しい。酸茎菜と天秤漬けの様子の白黒写真あり。 【資料6・7】スグキナ全般について非常に詳しい。スグキナ畑や漬け方の様子,「スグキの碑」の白黒写真あり。 ●"漬物"で当館所蔵資料を件名検索。 【資料8・9・10】漬け方の詳細などが記載。 ●Google Booksで"すぐき"を検索。 【資料11・12】すぐきの起源,漬け方などについて記載あり。 ●国立国会図書館デジタルコレクションで"酸茎・すぐき"を検索。 【資料13】起源,呼称,栽培,販売の発展など非常に詳しい。 【資料14】歴史や京都内での販売法について詳しい。漬ける様子の白黒写真あり。 ●"京野菜"で当館所蔵資料を検索。 【資料15・16】すぐきについてわかりやすく説明。カラー写真あり。 参考資料:【資料1】『京都市特産蔬菜第1輯』(森本 豊種/編輯 京都市農会 1934)p31~36「上賀茂の酢莖菜」, 参考資料:【資料2】『現代にいきづく京の伝統野菜 古都の食文化を担って』(菊池 昌治/著 誠文堂新光社 2006)p160~166「酸茎菜」, 参考資料:【資料3】『賀茂文化研究 第2号』(賀茂文化研究所 1993)p37~47「江戸時代後期の上賀茂に於ける酸茎及び瓜類等栽培の動静」, 参考資料:【資料4】『賀茂文化研究 第3号』(賀茂文化研究所 1994)p13~45「『賀茂社家日記』にみる酸茎の贈答慣習について」, 参考資料:【資料5】『京洛野菜風土記』(植木 敏弌/著 伊勢秀印刷所 1972)p54~63「酸茎菜(別名,里菜,貧乏菜)」, 参考資料:【資料6】『京野菜』(高嶋 四郎/文 淡交社 1982)p68~96「スグキナ(酸茎菜)」, 参考資料:【資料7】『京の伝統野菜と旬野菜 歳時記』(高嶋 四郎/編著 京の伝統野菜保存ミッション/編 トンボ出版 2003)p31~41「スグキナ(酸茎菜)」, 参考資料:【資料8】『京都の漬物 四季の材料と漬け方』(京都府立総合資料館/編 白川書院 1973)p30~33「スグキ漬」, 参考資料:【資料9】『京のつけもの 味わいと老舗ガイド』(淡交社 1993)p16~21「すぐき」, 参考資料:【資料10】『旬香彩菜 京つけもの歳時記』(石橋 郁子/文,宮野 正喜/写真 光村推古書院 2003)p54~64「すぐき」, 参考資料:【資料11】『京都 いのちの水』(京都新聞社 1983)p19~27「すぐきの里・社家」, 参考資料:【資料12】『京都味の手仕事』(京都新聞社 1984) p78~81「すぐき漬け なり田」, 参考資料:【資料13】『京都市近郊特産蔬菜作の変遷過程』(林 義雄/著 京都府立農業試験場 1963) p142~191「上賀茂における酸茎作の発展」 http://ift.tt/2yKskwV, 参考資料:【資料14】『京のつけもの』(真下 五一/著 真珠書院 1966)p35~48「すぐき」 http://ift.tt/2wmjjZm, 参考資料:【資料15】『ほんまもん京野菜ガイドブック』(京のふるさと産品価格流通安定協会 [2006])p31~32「すぐき菜」, 参考資料:【資料16】『まるごと京野菜』(田中 大三/監修 青幻舎 2009)p64~65「すぐき菜」,
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昭和初期,京都市右京区双ヶ丘に「双ヶ丘撮影所」があったと聞いたが,本当に存在したのか。(京都市図書館)

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双ヶ丘撮影所は,1928(昭和3)年に京都市右京区の双ヶ丘(ならびがおか)の東側,立石電機(現オムロン)の広大な敷地の北側に実在した日本最初の貸しスタジオです。映画会社マキノ・プロダクションの大道具主任だった河合広始がマキノを退職し,片岡千恵蔵や嵐寛寿郎などのスターの独立プロの拠点として,このスタジオを建設しました。 当時,片岡千恵蔵や嵐寛寿郎などといったスターたちが阪東妻三郎に続き次々と独立し,「日本映画プロダクション連盟」を結成,双ヶ丘撮影所で製作を開始しました。ところが,スターたちの独立を支援していた「日本活動常設館館主連盟映画配給会社」が資金難となり,わずか数ヶ月で崩壊,あえなく挫折することになりました。 双ヶ丘撮影所は,海外での評価も高かった溝口健二監督が当時人気女優だった入江たか子と「滝の白糸」を撮ったところであり,またのちに映画界の天才といわれた山中貞雄が「抱寝の長脇差(だきねのながどす)」で監督デビューした撮影所でもありました。 その後は新興キネマ,松竹が入居しましたが,戦後は立石電機(現オムロン)の工場となりました。 回答プロセス:●双ヶ丘がある京都市右京区の地域が当時"葛野(かどの)郡"であったことや"花園","洛西"と呼ばれることから,それらをキーワードに検索する。 【資料1】p102「洛西地域と映画文化」に双ヶ丘撮影所が貸しスタジオだったことなどについての記載あり。 ●右京区花園や双ヶ丘の学校史を確認するも,双ヶ丘撮影所についての記載はなし。 ●京都の映画撮影所についての内容であることから,キーワードを"京都","映画","撮影所"に設定し検索 ・・・【資料2】~【資料9】 【資料2】p181~183 双ヶ丘撮影所の項あり(解説・白黒写真・絵地図) 【資料3】p30~34 双ヶ丘撮影所の歴史・場所・地図・面積などの記載あり。 【資料4】p45 1928(昭和3)年に貸しスタジオからスタートしたこの土地の所有者の推移について記載あり。 【資料5】p166~167 「京都撮影所分布図」と「京都撮影所変遷図」に当撮影所の記載あり。 【資料6】p188 1910年代~1930年代頃の京都洛西地域の映画撮影所地図に当撮影所あり。 【資料7】p38  "日本キネマ双ヶ丘撮影所"としての項あり。英語との対訳で解説文と建設中の撮影所の写真あり。 【資料8】p74~76 双ヶ丘撮影所の歴史とその付近の解説あり。 【資料9】p135 年表の1928(昭和3)年に片岡千恵蔵,嵐寛寿郎の独立についての記載あり。 ●片岡千恵蔵が当撮影所を使用したことから,【資料10】を確認。 p8~9に1928年(昭和3)年に双ヶ丘撮影所の記載あり。 ●双ヶ丘撮影所の創設者である河合広始がマキノ出身者であったことから,【資料11】を確認。 p408の年表に1928(昭和3)年3月,河合がマキノを退社し,御室付近に貸しスタジオを建設する旨の記載はあるが,双ヶ丘撮影所についてはなし。 ●国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(http://ift.tt/2wncC9e 【資料12】に双ヶ丘撮影所についての解説と双ヶ丘撮影所が建設された1928(昭和3)年から2000(平成12)年までの当地の所有者・使用者についての年表あり。 ●【資料13】p221 立石電機が,京都市右京区花園土堂町10番地を買収し,工場を建設したことがわかるが,"双ヶ丘撮影所"の記載はなし。 ●過去の新聞記事を調べる。オンラインデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞),「Gサーチ」(京都新聞)で"双ヶ丘撮影所"や"日本キネマ撮影所"などのキーワードで検索するも有用な情報なし。 ●国立国会図書館デジタルコレクション(http://ift.tt/2yL3nBI ●双ヶ丘撮影所で製作をしたといわれる溝口健二,山中貞雄の両監督と女優入江たか子についてオンラインデータベース「ジャパンナレッジlib」で検索したが,双ヶ丘撮影所についての記載はなし。 参考資料:【資料1】『京都地域研究 Vol.16 』(立命館大学衣笠研究機構京都地域研究会/編集 立命館大学衣笠研究機構京都地域研究会 2002)p102, 参考資料:【資料2】『京都映画図絵 日本映画は京都から始まった』(鴇 明浩/編,京都キネマ探偵団/編 フィルムアート社 1994)p181~183, 参考資料:【資料3】『洛西地域撮影所跡地めぐり ガイドブック』(古市 眞也/著 京都ウエストサイド物語実行委員会 2000)p30~34, 参考資料:【資料4】『映画空間・右京区のフィールドワーク 大映京都撮影所とその地域』(大矢 敦子/編 立命館大学文学部人文総合科学インスティテュート冨田美香ゼミ 2002)p45, 参考資料:【資料5】『日本映画と京都』(平凡社 1997)p6,166~167, 参考資料:【資料6】『時代劇文化の発信地・京都』(大石 学/編,時代考証学会/編 サンライズ出版 2014)p188, 参考資料:【資料7】『映画ロマン紀行 京都シネマップ』(中島 貞夫/ほか著 京都国際映画祭組織委員会京都事務局,人文書院 1994)p38, 参考資料:【資料8】『シネマの京都をたどる』(蔵田 敏明/著 淡交社 2007)p74~76, 参考資料:【資料9】『映画百年 映画はこうしてはじまった』 (読売新聞文化部/編 東京 キネマ旬報社 1997)p135, 参考資料:【資料10】『千恵プロ時代 片岡千恵蔵・稲垣浩・伊丹万作洒脱に、エンターテインメント』(富田 美香/編 東京 フィルムアート社 1997)p8~9, 参考資料:【資料11】『マキノ一家』(石割 平/編・著 ワイズ出版 2000), 参考資料:【資料12】京都映像文化デジタル・アーカイヴ マキノ・プロジェクトの洛西撮影所INDEXに双ヶ丘撮影所の歴史と年表あり http://ift.tt/2wm1Gc0 (最終確認2017.5.29), 参考資料:【資料13】『創る育てる 立石電機55年のあゆみ』([立石電機/編] 立石電機 1988)p221,
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2017年9月28日木曜日

橋本宿(村)の幕末の侠客、平野屋政八(政吉)について、居住地、本名、逸話等を知りたい。 丹波屋伝兵衛の一の子分で、1861(文久元)年に清水次郎長と下田金平(赤鬼)の仲介(菊川の手打ち)をした人物とのこと。(相模原市立橋本図書館)

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提供するにふさわしい資料や情報は見つからなかった。 回答プロセス:利用者が既に調べた資料は、おおむね下記のとおり。 ①『佐藤彦五郎日記1(日野宿叢書) 』 日野市 2005 (日野市図書館請求記号:SC4.5) ②『佐藤彦五郎日記2(日野宿叢書) 』 日野市 2005 (日野市図書館請求記号:SC4.5) ③『相模原市史 第2巻』 相模原市/編 相模原市 1978 (自館請求記号:K1-21) ④『里のききがき』 平井紅峯/著 文芸出版社 1970 (自館請求記号:K1-20) ⑤『清水次郎長と幕末維新 「東海遊侠伝」の世界』 高橋敏/著 岩波書店 2003(自館請求記号:289.1シミズ) ③のp415に「長脇差名主のリコール」の小見出しがあり、「組頭は名主となれ合い、相州橋本村平野屋の子分として長脇差を差し、木曾村の喜十郎とは兄弟分で、村内にも六、七人の子分を持ち、この子分を使って旅人や長脇差の者などを集めて盗賊に差出し、…」という記述がある。 自館OPACでキーワード"シミズジロチョウ"で検索した結果、次の資料が見つかった。 ⑥『清水次郎長』 高橋敏/著 岩波書店 2010 (自館請求記号:S289.1) p71に「金平と菊川で手打ち」という小見出しの章があり、p72に「金幹丹波屋、会場での両者間の突発的トラブルを防止するため帯刀する太刀長脇差等を預かる刀監の相州橋本政吉、…」という記述がある。 検索エンジンGoogle(http://ift.tt/nqDG0w 2017/04/15 最終確認)でキーワード"幕末神奈川橋本村"で検索した結果、レファレンス共同事業データベースで次の事例がヒットした。 幕末期の相模原市田名の検地や宗門人別帳など、庄屋、名主について書かれた古文書はないか。 (http://ift.tt/2hxlU00 2017/04/15 最終確認) この事例を参考にして、自館OPACでキーワード"橋本村"、分類"K1-2"で検索した結果、次の資料が見つかった。 ⑦『相模国高座郡橋本村関係古文書 第1集』 細川光成/編 細川光成 2004 (自館請求記号:K1-25) 年貢取立帳などに村民の名前が記載されているが、既に利用者がご覧になっていて、該当する人物は分からなかったとのことだった。 検索エンジンGoogle(http://ift.tt/nqDG0w 2017/04/15 最終確認)でキーワード"丹波屋伝兵衛"で検索した結果、次のページがヒットした。 45 丹波屋伝兵衛 - 三重の文化(http://ift.tt/2hyF6GW 三重県環境生活部文化振興課県史編さん班のサイトで、丹波屋伝兵衛について説明されているが、該当人物についての記述はなかった。 自館OPACでキーワード"ユウキョウ"で検索した結果、次の資料が見つかった。 ⑧『アウトロー 近世遊侠列伝』 高橋敏/編 敬文舎 2016 (自館請求記号:281.04) 該当人物についての記述はなかった。 検索エンジンGoogle(http://ift.tt/nqDG0w 2017/04/15 最終確認)でキーワード"相州博徒"で検索した結果、次の資料が見つかった。 ⑨『任侠百年史』 藤田五郎/著 笠倉出版社 1980 (横浜市立図書館請求記号:368.8/1) 該当人物についての記述はなかった。 事前調査事項:『佐藤彦五郎日記』『相模原市史 第2巻』『里のききがき』『東海遊侠伝』 参考資料:『相模原市史 第2巻』 相模原市/編 相模原市 1978, 参考資料:『里のききがき』 平井紅峯/著 文芸出版社 1970, 参考資料:『清水次郎長と幕末維新』 高橋敏/著 岩波書店 2003, 9784000233835 参考資料:『相模国高座郡橋本村関係古文書 第1集』 細川光成/編 細川光成 2004, 参考資料:『アウトロー 近世遊侠列伝』 高橋敏/編 敬文舎 2016, 9784906822737 参考資料:『任侠百年史』 藤田五郎/著 笠倉出版社 1980,
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平野屋政八に関連する検索キーワード
政八 自由が丘 閉店

政八 閉店

政八寿司 本八幡

藤井邦夫/著「数珠丸恒次: 御刀番 左 京之介(三) (光文社時代小説文庫)」に出てくる「渋谷長者」の「黄金長者」は何と読むか(香川県立図書館)

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・角川日本地名大辞典 13 東京都  「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編  角川書店  1979   「長者丸」の項に「白銀(しろかね)村の白金長者に対して黄金長者とも称して・・・」とあるので   「こがねちょうじゃ」ではないかと推測されるが、不明。
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「太平記」第14に出てくる讃岐国の鷺田庄とは現在のどこにあたるのか?(香川県立図書館)

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次の資料に鷺田庄についての記述があり、参考になると思われる。 ・荘園分布図 下巻 竹内理三/編 吉川弘文館 1976   p.273「讃岐(3)」の地図上に「鷺田庄」が掲載されている。 ・日本歴史地名大系 38 香川県の地名 平凡社 1989   p.200-201「坂田郷」の項に次の記述あり。    「・・・(※坂田郷は)近世の坂田村を遺称地とし、     現在の西春日町・松並町・峰山町・西ハゼ町・紙町を含む一帯に比定される。」    「・・・当郷(※坂田郷)が「太平記」第14に伝える建部2年(1335)11月における     細川氏の挙兵地「鷺田庄」に比定されることとの関連を想定できよう。・・・」 ・角川日本地名大辞典37 香川県 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川書店 1985   p.360「さぎた 鷺田<高松市>」の項に「太平記」の「当国鷺田庄」について触れられており、    「鷺田荘は同郡坂田荘のことと判断される。江戸期の坂田村の地。」とあります。   P.355「[近世]坂田村」の項に次の記述あり。    「江戸期~明治23年の村名。香川郡西のうち坂田郷に属す。・・・」   p.356「[近代]坂田」の項に次の記述あり。    「明治23年~昭和15年の鷺田村の大字名」    「昭和15年高松市西春日町・松並町・峰山町・西ハゼ町・紙町となる。」
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手術期(術前・術後)看護について。観察項目・病態生理などが載っているものが見たい。特定の疾患ではなく全般的なものが良い。(横浜未来看護専門学校(図書室))

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【雑誌】 【「急性期実習で患者さんの経過についていけない!」を解決する 経過でみる観察とケア】/北島 泰子(東京有明医療大学 看護学部看護学科), 中村 充浩, プチナース.25(10)[2016.8] p.12-31 術前~術後の観察ポイントについて詳しく記載あり、別冊付録に「術前・術後の観察・ケアがよくわかるBOOK」あり" 【図書】 『領域別看護過程展開ガイド : 実習記録の書き方がわかる! : 成人老年小児母性精神』(プチナースBooks) (任和子編著, 照林社, 2015年, 492.9) →急性期看護のページ 回答プロセス:急性期看護(N950)、手術看護(N951)の書架を中心に探し、図書『周術期看護: 安全・安楽な看護の実践』 (坂本文子指導,インターメディカ, 2016年,492.9)、『周手術期看護ガイドブック 必要な知識と役立つ技術』(Primary nurse series) 木村チヅ子編集 ; 慶応義塾大学病院看護部執筆, 中央法規出版, 2005年, 492.9)を紹介したが、術前・術後の観察項目について網羅的に載っているものが見当たらないため、学生の実習(成人看護学のうち、急性期)の方に着目し、領域別看護のポイントが書かれた資料(N220)を探す 事前調査事項:『高齢者と成人の周手術期看護 : 講義から実習へ』シリーズ (竹内登美子編著, 医歯薬出版, 2012年, 492.9) は閲覧済み 参考資料:医中誌Web, 備考:※看護関係の図書は、日本看護協会看護学図書分類表第2版を採用。 http://ift.tt/2hxqGdX
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“ストーマ落とし”について調べている(横浜未来看護専門学校(図書室))

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【雑誌】 【ケアの悩みはこれで解決! 消化器ナースのお助けクリニック(解説)】/ 渡辺 成(川口市立医療センター 内科) 消化器外科Nursing.11(2)[2006.02]p.210-216→お悩み相談の内容が、ストーマ閉鎖術 【消化管ストーマ造設と閉鎖のきほんの(き)】 結腸ストーマ閉鎖の基本的手技・周術期管理と合併症(解説/特集)/ 野澤 慶次郎(帝京大学医学部附属病院 外科) WOC Nursing.5(2)[2017.02]p.63-68 回答プロセス:日常生活援助の技術(N221),局所外科学(494.6)の書架をあたる。 ストーマ造設術・ストーマ(がある事)についての本・雑誌はあるが、"ストーマ落とし"については見当たらず。 相談者に確認したが、「"ストーマ落とし"という呼ばれ方をしていた」との事。 『ストーマケアbasic : 3stepでわかる・できる!』(N211/Ya) 2章 ケアに役立つストーマの基礎知識 内に、ストーマ分類として"永久的ストーマ"と、"一時的ストーマ"という"ストーマ閉鎖術"が予定されているものがある事が判明 "医中誌Webにて、KW: ストーマ△落とし→ヒットせず。一時的ストーマ、人工肛門閉鎖/TH で検索。会議録が多かったため、会議録を除いて絞込み ヒットした資料が当校・近隣の機関の所蔵もナシ、雑誌が存在することのみ紹介 メディカルオンラインにてKW: ストーマ閉鎖術 で検索。会議録を除いた結果を確認したところ、アブストラクトから、ストーマ閉鎖術に関するケアの記事を確認、紹介 参考資料:医中誌Web, 参考資料:メディカルオンライン, 参考資料:『ストーマケアbasic : 3stepでわかる・できる!』, 参考資料:『消化器』(病気がみえる)第5版(492/Ir/1), 備考:"閉鎖型のストーマ袋"・"閉鎖具"はストーマ装具を指し、該当しない。
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高齢者の援助について載っている本を探している。機能の低下などをふまえたものが見たい。(横浜未来看護専門学校(図書室))

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【図書】 『高齢者看護すぐに実践トータルナビ : 成人看護とはここがちがう!おさえておきたい身体機能の変化と慢性疾患』 (岡本充子, 西山みどり編著, メディカ出版, 2013年, 492.9<N600>) 『高齢者の理解とケア : 加齢・症状のメカニズムと対応』(Nursing mook, 64) (芦川和高編集, 学研メディカル秀潤社 , 学研マーケティング (発売), 2011年, 492.9<N600>) 『生活機能のアセスメントにもとづく老年看護過程』 (奥宮暁子 [ほか] 著,医歯薬出版, 2012年,492.9) ・『臨床老年医学入門 : すべてのヘルスケア・プロフェッショナルのために』第2版 (道場信孝著, 医学書院, 2013年, 493.1) ・『高齢者診療マニュアル』(生涯教育シリーズ) (林泰史, 大内尉義, 上島国利, 鳥羽研二監修・編集, 日本医師会, 2009年, 493.1) ・『イラストでわかる高齢者のからだと病気』 (杉山孝博著, 中央法規出版, 2013年, 493.1) 【雑誌】 【すべての実習に使える! 関連図でわかる!写真でわかる! 高齢者ケアの根拠とコツ 食事 排泄 清潔】/石塚 睦子, 根岸 貴子, 荻原 康子/プチナース.24(3)[2015.2] p.22-38 【領域別コミュニケーション老年看護学(1) 第1回 高齢者について理解しよう!】/ 宮澤 真優美(群馬大学 大学院保健学研究科博士前期課程老人看護専門看護師コース)/ Nursing Canvas.3(4)号[2015.3]p.69-76 【領域別コミュニケーション老年看護学(2) 第2回 実践!高齢者とのコミュニケーション】/ 宮澤 真優美(群馬大学 大学院保健学研究科博士前期課程老人看護専門看護師コース)/Nursing Canvas.3(5)[2015.4] p.70-77 【領域別コミュニケーション老年看護学(3) 第3回 どうする?認知症の高齢者とのコミュニケーション】/内田 陽子(群馬大学 大学院保健学研究科老年看護学)/Nursing Canvas.3(6)[2015.5] p.72-80 回答プロセス:①老年看護学(N600)、老年医学(491.7)の書架をあたる。 ②医中誌Web KW:高齢者 で、学生向けで所蔵している雑誌(プチナース・クリニカルスタディ・Nursing Canvas)で絞込み、資料を紹介 事前調査事項:学生臨地実習(基礎看護学実習Ⅱ)の事前学習として。 参考資料:医中誌Web, 備考:※看護関係の図書は、日本看護協会看護学図書分類表第2版を採用。  http://ift.tt/2hzoEq3
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“日本ロマンチック街道”について全ルートが載っている資料はあるか。(高崎市立中央図書館)

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日本ロマンチック街道は、栃木県宇都宮市から長野県上田市の国道を中心とした観光ルートで、1987(昭和62)年4月に創設されました。 このルートには、上信越高原国立公園と日光国立公園が含まれ、自然景観がドイツのロマンチック街道に似ていることから、この名がつけられました。 ルートの長さは本街道230km、脇道を含めた総延長は350kmで、20市町村が参加しており、群馬県では12市町村(片品村、沼田市、昭和村、川場村、みなかみ町、高山村、中之条町、東吾妻町、長野原町、渋川市、草津町、嬬恋村)がルートに含まれています。 以下、当館所蔵の参考資料になります。 彩紀行 p.65-67  日本ロマンチック街道の景色を描いた関口コオの切り絵の作品集。  日本ロマンチック街道の概要と全ルートの地図あり。  ルートの全長は230㎞となっている。 統計・資料で見る日本地図の本 3 p.42  日本ロマンチック街道の概要とルート上の市町村の紹介  長さは長野県小諸市から栃木県日光市までの本街道全長約230㎞、ガッセ(ドイツ語で小径の意)とよばれる区間を含めた総延長約350㎞となっている。 上州路 2003年8月号 p.10-35  特集日本ロマンチック街道の旅  全ルートの地図とルート上の市町村が見開き1ページずつ使って紹介されている CAO!第10号(2008) p.4-50  日本ロマンチック街道のルート上の群馬県内の観光案内。  ルートの両端である上田市と宇都宮市は載っているが、県外部分のルートは省略されている。 また「日本ロマンチック街道」公式サイトにも"日本ロマンチック街道マップ"の掲載あり。 (http://ift.tt/2hzlFOk 最終確認:2017.9.25) 参考資料:関口コオ 著 , 関口, コオ, 1937-. 彩紀行 : 日本ロマンチック街道. あすか書房, 1989. http://ift.tt/2hy6Wad, 4317800225(当館資料番号 110809928) 参考資料:こどもくらぶ 編 , こどもくらぶ. 統計・資料で見る日本地図の本 第3巻 (北関東・甲信越). 岩崎書店, 2008. http://ift.tt/2hziJBf, 9784265027934(当館資料番号 120915814) 参考資料:日本ロマンチック街道の旅. 上州路 351号 p. 10-35 http://ift.tt/2hwbKNg, (当館資料番号 630001147) 参考資料:日本ロマンチック街道を行く. キャオ 第10号 http://ift.tt/2hzl7YQ, 978-4-88058-992-3(当館資料番号 117201863)
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所蔵している「佐世保」に関する音楽CD、特に「佐世保音頭」などを探している。(佐世保市立図書館)

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佐世保に関するCD (1) 佐世保市歌 辻井一郎 作曲 佐世保市 2013.8 (2) 無伴奏合唱曲 西海ラプソディー 西海讃歌 團 伊玖磨 日本コロムビア (3) 九十九詩人 阿久 悠 制作 させぼ夢大学 2005.6 (4) MUSIC ISLAND 99 Mayumi Life de LIVE実行委員会、佐世保市、アルカスSASEBO 2006.3 (5) 佐世保ストーリー 幸地 愛子 ピースミュージック (6) 九十九島/愛・佐世保 ニューバージョン 平浩二/歌 徳間ジャパンコミュニケーションズ 2016.11 (7) 長崎県民歌 山口健作 作曲 長崎県 2013.8 (8) 吹奏楽プロムナード・コンサート21 美しき天然・ぐるりよざ~長崎~海上自衛隊佐世保音楽隊 CROWN NIPPON 2002   また、「佐世保音頭」については、貸出可能な音源は確認できませんでした。 国立国会図書館の歴史的音源(通称:歴音れきおん)に「佐世保音頭」やその他佐世保に関する音源があります。 近隣の伊万里市民図書館、長崎県立図書館の館内にて音源を聴く事ができます。 (2017/7/17 最終) 回答プロセス:1.フリーワード"佐世保音頭"&CD検索   →ヒットなし    また佐世保音頭の音源はLDのみで、CDの発売は確認できませんでした。    当館郷土資料室の資料で歌詞は判明しますが、音源は未所蔵。    ほかに音源を聞く手段があるかどうかをお尋ねでしたが、判明せず一旦調査終了。   (後日再調査)   2.フリーワード"サセボ"&CD検索   →8件ヒット    「佐世保音頭」なし   3.「国立国会図書館 歴史的音源」(通称:歴音)(http://ift.tt/2hxkD9e    "サセボ"検索   →2件ヒット    (http://ift.tt/2hyHUEc      ①佐世保音頭(一)     作詞・作曲・編曲・実演家西条 八十[作詞]中山 晋平[作曲]     市丸 三島 一声 日本ビクター管弦楽団[伴奏]     製作者(レーベル)ビクター発売年月日1934-06       ②佐世保音頭(二)     作詞・作曲・編曲・実演家西条 八十[作詞] 中山 晋平[作曲]     市丸 三島 一声     製作者(レーベル)ビクター発売年月日1934-06      これらの資料は、国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館の館内限定利用資料です。    近隣では、伊万里市民図書館、長崎県立図書館が館内限定で提供しています。    また歴音では上記2件以外に「佐世保軍港行進曲」、「佐世保小唄」、「佐世保鎮守府を讃える歌」、「佐世保メロディー」が公開されています。(2017/7/17現在)   (調査終了) 参考資料:佐世保市歌 辻井一郎 作曲 佐世保市 2013.8, 参考資料:無伴奏合唱曲 西海ラプソディー 西海讃歌 團 伊玖磨 日本コロムビア ダン GES-10726, 参考資料:九十九詩人 阿久 悠 制作 させぼ夢大学 2005年6月, 参考資料:MUSIC ISLAND 99 Mayumi Life de LIVE実行委員会、佐世保市、アルカスSASEBO  〔2006.3.25〕 PJ ORP-207, 参考資料:佐世保ストーリー 幸地 愛子 ピースミュージック H, 参考資料:九十九島/愛・佐世保 ニューバージョン 平浩二/歌 徳間ジャパンコミュニケーションズ 2016.11, 参考資料:長崎県民歌 山口健作 作曲 長崎県 2013.8, 参考資料:国立国会図書館 歴史的音源 http://ift.tt/2hy5vbE 2017/7/17, ("サセボ") 参考資料:レファレンス協同データベース http://ift.tt/2hzGARt 2017/7/17, (佐世保市立図書館調べ方マニュアル「歌詞・楽譜をしらべる」) 参考資料:吹奏楽プロムナード・コンサート21 美しき天然・ぐるりよざ~長崎~海上自衛隊佐世保音楽隊 CROWN NIPPON 2002,
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「衆議院議員総選挙の実績 第1回-第30回(1967)」の続きを見たい。参議院のも見たい。(香川県立図書館)

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お探しのタイトルは見当たらなかったが、代わりに次の資料を紹介。 ・国政選挙総覧 1947-2016 日外アソシエーツ 2017.7   戦後70年間の衆議院議員総選挙、参議院議員通常選挙、及びその補欠選挙などの結果が都道府県別に収録されている。 回答プロセス:・NDLOPACで検索しても続きは見当たらなかった。 ・出版者が違うが同じタイトルの次の出版は確認できたが、中四国の図書館に所蔵なし。   ・衆議院議員選挙の実績 第2巻 第21回~第39回(1990) ・参議院について次の出版は確認できたが、中四国の図書館に所蔵なし。   ・参議院議員通常選挙の実績 第1回~第15回(1990)
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中野区でエイサーが始まったきっかけは何か。中野区と沖縄には何か関係があるのか。(中野区立中央図書館)

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中野区と沖縄の関係は、集団就職などで中野に上京した若者のため1970年中野区青少年課の委託により"沖縄郷土の家"が開設されたことに始まります。1979年東京沖縄県人会の青年部を結成。事務局が中野に置かれ、青年部の若者たちがエイサーの団体を始めました。その後、エイサーの各団体が中野区で誕生。現在中野区では沖縄関連の祭りとして「チャランケ祭」「中野チャンプルーフェスタ」が毎年開催されています。 以上の内容について、下記資料に詳しく記載されています。なお、カッコ内は当館請求記号です。 【資料1】『中野チャンプルーフェスタ パンフレット』中野区北口昭和新道商店街&中野チャンプルーフェスタ実行委員会,2005・2006(D82/A)  「中野区における沖縄とエイサーの歩み」として年表が掲載されています。 【資料2】『日本の特別地域⑦ これでいいのか東京都中野区』佐藤圭亮・川口有紀/著,マイクロマガジン社,2009(302.1/コ)  p.116「実は奥深い沖縄との関係」  p.117「中野は屈指のエイサーどころ」  p.118「中野には3つの"沖縄関連"フェスタが」  →「アシバ祭」「チャランケ祭」「中野チャンプルーフェスタ」の3つが紹介されていますが、このうち「アシバ祭」は【資料9】によりますと現在は板橋区で開催されています。 【資料3】『Oconomix 11年5月号』おこのみっくすマガジン編集部,2011(ZB88/A/14)  「おこのみっくす流歴史探訪 ― 中野から沖縄エイサーの歴史を紐とけば、東北・福島へつながる絆が見えてくる」 【資料4】『中野区における青少年施策のあらまし 昭和51年』中野区総務部青少年課/編,中野区,1976(G21/A/76)  p.159「10 郷土の家」 【資料5】『郷土の家 詩集』金城唯温/著,文教商事,1978(911.59/キ) 【資料6】『郷土の家 連合会の歩み』中野区役所児童青年課/編,中野区,1975(K32/A) 【資料7】朝日新聞2016年2月11日朝刊24面「(中野・・・ふだん着の街:2)「止まり木」や「架け橋」作りたい/東京都」 【資料8】中野区HP ホーム>なかなかいいね!中野>いいね!スポット>中野チャンプルーフェスタ http://ift.tt/2hx7QDE (2017年5月2日確認) 【資料9】東京沖縄県人会青年部 http://ift.tt/2hAIpNV (2017年5月2日確認) 回答プロセス:1.「エイサー」を当館OPACで検索。【資料3】がヒット。 2.Googleで「中野×エイサー」、中野区HPで「エイサー」を検索。「中野チャンプルーフェスタ」が多くヒット。 3.朝日新聞記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」で「中野×エイサー」を記事検索。 4.地域資料の棚をブラウジング。【資料2】の内容を確認。 5.1~4で得られたキーワードを元に、再度当館OPACで検索。関連資料にもあたる。
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2017年9月27日水曜日

児童文学作家岩瀬成子さんについて書かれた資料をさがしています。(大阪府立中央図書館)

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岩瀬成子さんについて書かれた、または、岩瀬成子さんのことが分かる資料として次のものがありました。 【図書】 ・『今江祥智の本 第31巻』(理論社 1990.1)    解説―語られない言葉 p219-224 ・『子どもの本の海で泳いで』(今江祥智/著 BL出版 2013.11)   岩瀬成子「私の今江祥智論 闘いとしての優しさ」 p124-129  ・『清新な光景の軌跡:西日本戦後文学史』(花田俊典/著 西日本新聞社 2002.5)   「羅針盤」 p496-499 ・『二十歳だった頃』(岩瀬成子/著 晶文社 2002.11)    ・『わたしが子どものころ戦争があった』(理論社 2015.8)    岩瀬成子「米軍基地のある町からみた戦争」 p209-239 【雑誌】 ・「12月例会報告 岩瀬成子さんをお迎えして」  『あかずきん:広島県子どもの読書連絡会会報』321(広島県子どもの読書連絡会 2006.1)p1-9 ・岩瀬成子「『朝はだんだん見えてくる』の私」 『鬼ケ島通信』 (36) (鬼ケ島通信社 2000.11)p36-37 ・岩瀬成子「今江さんの熱さ」  『月刊絵本』7(1)(すばる書房 1979.1)p56    ・岩瀬成子「本を選ぶ」 『子どもと読書』 (親子読書・地域文庫全国連絡会 1999.5・6)p1 ・江藤裕子「作品をよむ 金色の象」 『子どもと読書』 (親子読書・地域文庫全国連絡会 2002.3・4)p34-36 ・「この人にインタビュー 岩瀬成子さん」  『子どもの本』19(1)(日本児童図書出版協会 1993.6)p47-48 ・岩瀬成子「子どもの現実と児童文学」 『思想の科学.第6次』92(思想の科学社 1978.6)p64-71 ・岩瀬成子「わたしの岩国・カワシモ」 『思想の科学.第7次』6(思想の科学社 1981.8)p135-141 ・岩瀬成子「はなちゃんの『時代』」 『児童文学』1980(メリ-ゴ-ランド 1980)p34-38 ・遠藤育枝「岩瀬成子論」 『児童文学』1981(メリーゴーランド 1981)p161-172 ・岩瀬成子『夜が明けるまで』  『児童文学』1981(メリ-ゴ-ランド 1981)p251-254 ・岩瀬成子「女が『女』を書く」 p44-51 『児童文学』1982(メリ-ゴ-ランド 1982)p44-51 ・岩瀬成子 『アウトサイダー』  『児童文学』1984(メリ-ゴ-ランド 1984)p75-79 ・岩瀬成子 『あのころはフリードリヒがいた』  『児童文学』1988(メリ-ゴ-ランド 1988)p72-80 ・岩瀬成子 「書いたあとで考えて見ると」 『児童文学評論』13号(大阪新児童文学会 1977.9)p111-115 ・岩瀬成子「子どもということー『いないいないばや』と『流れのほとり』のこと」  『飛ぶ教室』3(光村図書出版 2005.10)p74-76 ・岩瀬成子「こどものために…?」  『飛ぶ教室』13(光村図書出版 1985.10)p91-93 ・岩瀬成子「『昔、そこに森があった』飯田栄彦 自然と和解のしかた」  『飛ぶ教室』17(光村図書出版 1986.2)p105-107 ・皿海達哉・飯田栄彦・岩瀬成子 「鼎談 明日に翔ける 地方在住若手作家の血のたぎり」  『飛ぶ教室』21(光村図書出版 1987.2)p105-111 ・岩瀬成子「この一冊 『家族の条件』」  『飛ぶ教室』51(光村図書出版 1994.10):p41-42 ・岩瀬成子・高田桂子・古田足日 「鼎談 '60~'70年代の足跡とある到達点」 『飛ぶ教室』52(光村図書出版 1995.4)p17-26   ・「本を読む 岩瀬成子 1回:街は果てなき世界」 『飛ぶ教室』25(光村図書出版 2011.4)p100-106   ・「本を読む 岩瀬成子 2回:聞こえる声、語られない言葉」 『飛ぶ教室』27(光村図書出版 2011.10)p110-123 ・「本を読む 岩瀬成子 3回:ささやかであるのに、ささやかじゃないこと」 『飛ぶ教室』28(光村図書出版 2012.1)p118-124 ・「本を読む 岩瀬成子 4回:夢みる力」  『飛ぶ教室』29(光村図書出版 2014.4)p150-156 ・「本を読む 岩瀬成子 5回:呼吸のしかた」 『飛ぶ教室』30(光村図書出版 2012.7)p104-110 ・「本を読む 岩瀬成子 6回:笑いながらバクハツする知性」 『飛ぶ教室』31(光村図書出版 2012.10)p116-122 ・「本を読む 岩瀬成子 7回:少年の困難のかがやき」  『飛ぶ教室』32(光村図書出版 2013.1)p112-118 ・「本を読む 岩瀬成子 8回:生きのびる記憶」 『飛ぶ教室』33(光村図書出版 2013.4)p108-114 ・「本を読む 岩瀬成子 9回:そもそものやさしさ」 『飛ぶ教室』34(光村図書出版 2013.7)p114-120 ・「本を読む 岩瀬成子 10回:どうすれば、それを苦しみと知ることができるのだろう」 『飛ぶ教室』35(光村図書出版 2013.10)p122-128 ・「本を読む 岩瀬成子 11回:硬質な愛」 『飛ぶ教室』36(光村図書出版 2014.1)p122-128 ・「本を読む 岩瀬成子 12回:覆う空気と生命のやわらかさ」 『飛ぶ教室』37(光村図書出版 2014.4)p88-94 ・「本を読む 岩瀬成子 13回:海のふかさ、温かさと悲しみ」 『飛ぶ教室』38(光村図書出版 2014.7)p84-91 ・「本を読む 岩瀬成子 14回:死を深く抱える」 『飛ぶ教室』39(光村図書出版 2014.10)p94-100 ・「本を読む 岩瀬成子 15回:『少女的』ではいられない少女」  『飛ぶ教室』40(光村図書出版 2015.1)p110-117 ・「本を読む 岩瀬成子 16回:言い表すことのできない気持ち」 『飛ぶ教室』42(光村図書出版 2015.7)p100-107 ・「本を読む 岩瀬成子 17回:在ることの厚み」 『飛ぶ教室』43(光村図書出版 2015.10)p114-121 ・「本を読む 岩瀬成子 18回(最終回):子供の永遠」  『飛ぶ教室』44(光村図書出版 2016.1)p124-131  ・石井睦美・刈谷政則・岩瀬成子「今江祥智鼎談 幸福をもたらす人」 『飛ぶ教室』45(光村図書出版 2016.4)p82-92  ・「本を読む 岩瀬成子 強くて、正しくて、哀しくて、アホでもある父という存在」  『飛ぶ教室』49(光村図書出版 2017.4)p60-67        ・石井直人「素顔―岩瀬成子 『あたしをさがして』論」 『日本児童文学』35(3)(日本児童文学者協会 1989.3)p46-52 ・岩瀬成子「沈没寸前」  『日本児童文学』36(5)(日本児童文学者協会 1990.5)p60-63 ・岩瀬成子「エッセイ『額の中の街』 はなちゃんの死からはじまった……」  『日本児童文学』37(11)(日本児童文学者協会 1991.11)p58-60 ・座談会 児童文学とフェミニズム  『日本児童文学』38(5)(日本児童文学者協会 1992.5)p6-35 ・岩瀬成子「批評への注文 関心のありか」 『日本児童文学』40(4)(日本児童文学者協会 1994.4)p62-65 ・野上暁「薄明の海に朝は見えたか?」 『日本児童文学』40(9)(日本児童文学者協会 1994.9)p14-21 ・共同討議「視点と語り 子ども、私、書くということ」 『日本児童文学』40(10)(日本児童文学者協会 1994.10)p14-35 ・山口節子「揺さぶられる「女の子の時間」―岩瀬成子・高田桂子作品、谷川俊太郎「はだか」を中心に」 『日本児童文学』41(11)(日本児童文学者協会 1995.11)p34-38 ・野澤朋子「人とのつながりを伝える言葉」  『日本児童文学』57(1)(日本児童文学者協会2011.1)p95 ・岩瀬成子「向こう岸」  『ぱろる』9号 (ぱろる舎 1998.9)p114-117 ・山下明生・岩瀬成子・新開惟展 「選評 第41回部落解放文学賞・児童文学部門 すがすがしい短編」 『部落解放』712号(解放出版社 2015.7)p197-204 ・山下明生・岩瀬成子・新開惟展 「選評 第42回部落解放文学賞・児童文学部門 生き生きとした子どもの物語を」 『部落解放』728号(解放出版社 2016.7)p223-230 ・岩瀬成子「境界のひと」  『月刊MOE』14(2)(白泉社 1992.5)p39 ・「岩瀬成子の世界」 『月刊MOE』14(11)(白泉社 1993.11)p46-49 ・岩瀬成子「リレー・エッセイ6:12の月の宮沢賢治」 『月刊MOE』15(6)(白泉社 1993.9)p62-63       [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:今江祥智の本 第31巻 今江/祥智∥著 理論社 1990.1, (219-224) 参考資料:子どもの本の海で泳いで 今江/祥智∥著 BL出版 2013.11, (124-129) 参考資料:清新な光景の軌跡 花田/俊典∥著 西日本新聞社 2002.5, (496-499) 参考資料:二十歳(はたち)だった頃 岩瀬/成子∥著 晶文社 2002.11, 参考資料:わたしが子どものころ戦争があった 野上/暁‖編 理論社 2015.8, (209-239) 参考資料:鬼ケ島通信 鬼ケ島通信社 鬼ケ島通信社 1983. 5- 36, (36-37) 参考資料:月刊絵本 すばる書房  7(1), (56) 参考資料:子どもと読書 親子読書・地域文庫全国連絡会 親子読書・地域文庫全国連絡会  , (1) 参考資料:子どもと読書 親子読書・地域文庫全国連絡会 親子読書・地域文庫全国連絡会  , (34-36) 参考資料:こどもの本 日本児童図書出版協会 日本児童図書出版協会  19(1-6), (47-48) 参考資料:思想の科学. 第6次 思想の科学社 思想の科学社  110-113, (64-71) 参考資料:思想の科学. 第7次 思想の科学社 思想の科学社  4-7, (135-141) 参考資料:児童文学 聖母女学院短大内児童文化研究室 メリ-ゴ-ランド  1980年, (34-38) 参考資料:児童文学 聖母女学院短大内児童文化研究室 メリ-ゴ-ランド  1981年, (161-172,251-254) 参考資料:児童文学 聖母女学院短大内児童文化研究室 メリ-ゴ-ランド  1982年, (44-51) 参考資料:児童文学 聖母女学院短大内児童文化研究室 メリ-ゴ-ランド  1984(通巻第12号), (75-79) 参考資料:児童文学 聖母女学院短大内児童文化研究室 メリ-ゴ-ランド  1988(通巻第15号), (72-80) 参考資料:児童文学評論 大阪新児童文学会  12-13 12号:既刊号目録, (111-115) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  3, (74-76) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  13, (91-93) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  17-18, (105-107) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  21-22, (105-111) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  51-52,FINAL[53], (41-42) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  51-52,FINAL[53], (17-26) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  25, (100-106) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  27, (110-123) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  28 付録:CD1枚, (118-124) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  29, (150-156) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  30, (104-110) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  31, (116-122) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  32, (112-118) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  33, (108-114) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  34, (114-120) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  35, (122-128) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  36, (122-128) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  37, (88-94) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  38, (84-91) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  39, (94-100) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  40, (110-117) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  42, (100-107) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  43, (114-121) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  44, (124-131) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  45, (82-92) 参考資料:飛ぶ教室 光村図書出版  49, (60-67) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  35(3), (46-52) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  37(3), (60-63) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  37(11), (58-60) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  38(5), (6-35) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  40(4), (62-65) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  40(9), (14-21) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  40(10), (14-35) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  41(11), (34-38) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  57(1), (95) 参考資料:ぱろる パロル舎  9, (114-117) 参考資料:部落解放 大阪部落解放研究所 解放出版社  712号 (2015年7月 増刊号), (197-204) 参考資料:部落解放 大阪部落解放研究所 解放出版社  728号 (2016年7月 増刊号), (223-230) 参考資料:月刊MOE 白泉社  14(2), (39) 参考資料:月刊MOE 白泉社  14(10-12), (46-49) 参考資料:月刊MOE 白泉社  15(6), (62-63)
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佐藤忠良が描いた『おおきなかぶ』の挿絵について、教科書に掲載されている挿絵と、福音館書店の絵本の挿絵とでは、構図などが異なっている。それについて書かれた資料はありませんか。(大阪府立中央図書館)

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以下の資料に記述が見られた。 『彫刻家が描く 佐藤忠良の絵本原画』(宮城県美術館/編集 佐川美術館 2005) p.123~p.124「肝心の佐藤忠良の絵による「おおきなかぶ」は、確認できた中では、いずれも1977(昭和52)年刊の『新版こくご 1年上』(教育出版)の「大きなかぶ」と、『しょうがくしんこくご 1ねん上』(光村図書)の「おおきなかぶ」が最初である。これらは、確かに佐藤忠良の絵ではあるが、福音館版『おおきなかぶ』の絵にほぼ忠実に再制作されたものである。ここで気づくのは、絵本『おおきなかぶ』と教科書との大きな違いである。国語の教科書では、文章が縦書きであるために、右綴じ・縦型の装本となっており、当然のことながら、画面のかたち、絵と文章の配列が大きく変わってくる。掲載の初期は、絵は、絵本とは逆方向へページが進行するにも関わらず、絵本の絵と同様の方向でレイアウトされていたことから、絵本に見られるページをめくる方向への展開性を失っていた。掲載の回数が進むにつれて、教科書でも絵の方向性が意識されるようになり、絵本の絵とは左右逆転したかたちで掲載されている。しかし、判型による制約のために横方向への画面の展開性が減じているのは否めない。絵本の絵をほぼ忠実に再現しながらも、おはなしの説明として添えられる挿絵的な存在へと変質しているといえるだろう。」 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:彫刻家が描く 佐藤忠良の絵本原画 宮城県美術館∥編集 佐川美術館 2005.0, (120-124)
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児童文学において、最初に親の離婚を扱った作品を探しています。(大阪府立中央図書館)

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児童文学において、最初に親の離婚を扱った作品は、以下の資料です。 ・翻訳作品『ふたりのロッテ(岩波少年文庫 5)』(ケストナー/作 高橋健二/訳 岩波書店 1950) ・日本の作品『モモちゃんとアカネちゃん(児童文学創作シリーズ)』(松谷みよ子/著 菊池貞雄/絵 講談社 1974.6)  以下の資料には、両親の離婚について扱った作品についての記述がありました。 ・『児童文学の大人たち:物語の中の名脇役(森の小道シリーズ)』(鳥越信/著 文渓堂 1995.3) p27-34 「児童文学の世界では、長いあいだ多くのタブーが存在していた。両親の「離婚」もその一つである。そのタブーを破ったのは、ドイツのエーリヒ・ケストナーによって書かれた『ふたりのロッテ』で、第二次世界大戦が終わってまもない一九四九年のことだった」(p27)、「日本での第一号は、松谷みよ子の『モモちゃんとアカネちゃん』で、一九七四年のことだった。」(p28) ・『講座日本児童文学 5』(明治書院 1974) p80 ・山花郁子「離婚を描いた作品をめぐって」 『日本児童文学』 24(5)(日本児童文学者協会 1978.5)p61-66  [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:ふたりのロッテ ケストナー∥作 岩波書店 1950, 参考資料:モモちゃんとアカネちゃん 松谷/みよ子∥著 講談社 1974.6, 参考資料:児童文学の大人たち 鳥越/信∥著 文渓堂 1995.3, (27-34) 参考資料:講座日本児童文学 5 明治書院 1974, (80) 参考資料:日本児童文学 日本児童文学者協会 日本児童文学者協会  24(5), (61-66)
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親と離れて子どもがお泊りすることがテーマの絵本はありますか。(大阪府立中央図書館)

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親と離れて子どもがお泊りすることがテーマの絵本には、以下の資料があります。 ・『アイラのおとまり』(バーナード・ウエーバー/作・絵 まえざわあきえ/訳 徳間書店 1997.7) ・『あおぞらえんのおとまりかい(あおぞらえんシリーズ 3)』(斉藤栄美/さく 土田義晴/え ポプラ社 2001.3) ・『うさこちゃんおとまりにいく(ブルーナのゆかいななかま 5)』(ディック・ブルーナ/ぶん・え まつおかきょうこ/やく 福音館書店 1993.4) ・『おとまりのひ(ピーマン村のおともだち)』(中川ひろたか/文 村上康成/絵 童心社 2014.7) ・『すーちゃんのなつやすみ(心の絵本)』(やまぐちすわこ/さく アスラン書房 2002.6) ・『はじめてのキャンプ(福音館創作童話シリーズ)(林明子/さく・え 福音館書店 1984.6)』 ・『ひとりでおとまりしたよるに』(フィリパ・ピアス/文 ヘレン・クレイグ/絵 さくまゆみこ/訳 徳間書店 2014.1) ・『まよなかのほいくえん(えほんをいっしょに。 7)』(いとうみく/作 広瀬克也/絵 WAVE出版 2013.5) [事例作成日:2017年8月11日] 参考資料:アイラのおとまり バーナード・ウエーバー∥作・絵 徳間書店 1997.7, 参考資料:あおぞらえんのおとまりかい 斉藤/栄美∥さく ポプラ社 2001.3, 参考資料:うさこちゃんおとまりにいく ディック・ブルーナ∥ぶん/え 福音館書店 1993.4, 参考資料:おとまりのひ 中川/ひろたか‖文 童心社 2014.7, 参考資料:すーちゃんのなつやすみ やまぐち/すわこ∥さく アスラン書房 2002.6, 参考資料:はじめてのキャンプ 林/明子∥さく・え 福音館書店 1984.6, 参考資料:ひとりでおとまりしたよるに フィリパ・ピアス‖文 徳間書店 2014.1, 参考資料:まよなかのほいくえん いとう/みく∥作 WAVE出版 2013.5,
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子どもが潜望鏡を作る時に参考になる資料を探しています。(大阪府立中央図書館)

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子どもが潜望鏡を作る時に参考になる資料には、以下のものがありました。 ・『あそびのたねずかん』(東京学芸大こども未来研究所/著 東京書籍 2016.8)p171  ・『小学生のかっこいい!!自由研究』(成美堂出版編集部/編 成美堂出版 2017.7)p114-117 ・『図解!!やりかた大百科for KIDS』(Joseph Pred‖著 和田侑子/訳・編集協力 パイインターナショナル 2014.4)p14  ・『超まるわかり理科のきほん 上』(滝川洋二ほか/監修 誠文堂新光社 2016.4)p66-69 ・『でんじろう先生のカッコいい!科学おもちゃ』(米村でんじろう/監修 主婦と生活社 2009.6)p.110 ・『はじめての手づくり科学あそび 2 ひかり・かげ・おとであそぼ』(西博志/著・おもちゃ発案 塩見啓一/監修 こばようこ/イラスト・おもちゃ制作 アリス館 2014.12)p10-13 ・『100円ショップでつくってあそぶ なつかし!伝承おもちゃ&あそび』(吉田未希子/著 いかだ社 2016.4)p44-47  ・『100円グッズで作って遊ぼう! 遊具編(100円グッズでできる工作&実験ブック 1)』 (工作・実験工房/著 理論社 2013.12) p36-37 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:あそびのたねずかん 東京学芸大こども未来研究所‖著 東京書籍 2016.8, (171) 参考資料:小学生のかっこいい!!自由研究 成美堂出版編集部‖編 成美堂出版 2017.7, (114-117) 参考資料:図解!!やりかた大百科for KIDS Joseph Pred‖著 パイインターナショナル 2014.4, (14) 参考資料:超まるわかり理科のきほん 上 滝川/洋二‖監修 誠文堂新光社 2016.4, (66-69) 参考資料:でんじろう先生のカッコいい!科学おもちゃ 米村/でんじろう∥監修 主婦と生活社 2009.6, (110) 参考資料:はじめての手づくり科学あそび 2 西/博志‖著・おもちゃ発案 アリス館 2014.12, (10-13) 参考資料:100円ショップでつくってあそぶ なつかし!伝承おもちゃ&あそび 吉田/未希子‖著 いかだ社 2016.4, (44-47) 参考資料:100円グッズで作って遊ぼう! 工作・実験工房‖著 理論社 2013.12, (36-37)
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仏教について、小学生が分かる本はありますか。(大阪府立中央図書館)

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仏教について、小学生が分かるものには、以下の資料がありました。 ・『池上彰のよくわかる世界の宗教 仏教』(池上彰/著 こどもくらぶ/編 丸善出版 2016.11) ・『国際関係がよくわかる宗教の本 4 アジアと仏教』(池上彰/著 岩崎書店 2006.4) ・『国際理解に役立つよくわかる世界の宗教 6 仏教』(A・ガネリー/作 堀内一郎/訳 岩崎書店 1999.4) ・『国際理解を深める世界の宗教 1 仏教』(青木滋一/文 保坂俊司/監修 ポプラ社 2005.3) ・『地獄のはなし』(ひろさちや/文 今橋さとし/絵 大揚社 1991.12) ・『少年少女の仏教』(土屋昭之/著 出版者不明 2004.9) ・『調べ学習日本の歴史 10 仏教の研究』(林田康順/監修 ポプラ社 2001.4) ・『シリーズ世界の宗教 5 仏教の人びと』(ジョン・スネリング/著 河津千代/訳 リブリオ出版 1987.10) ・『仏像なぜなぜ事典(やさしい仏教)』(大法輪閣編集部/編 大法輪閣 1987.2) ・『仏教のひみつ(学研まんがでよくわかるシリーズ 79)』 (松本義弘/構成・文 谷豊/漫画 学研パブリッシングコミュニケーションビジネス事業室 2013.2) 以下の資料も仏教について分かりやすく書かれていますが、小学校高学年以上向けです。 ・『基礎の仏教史 : 中学で学ぶ仏教-もっと詳しく(やさしい仏教)』(大法輪閣編集部/編 大法輪閣 1989.9) ・『13歳からの仏教 : 一番わかりやすい浄土真宗入門』(龍谷総合学園/編 本願寺出版社 2013.4) ・『13歳からの仏教塾』(平井正修/著 海竜社 2016.2) ・『仏教入門(岩波ジュニア新書 322)』(松尾剛次/著 岩波書店 1999.6) ・『ブッダ-大人になる道(ちくまプリマー新書 048)』(アルボムッレ・スマナサーラ/著 筑摩書房 2006.11) [事例作成日:2017年8月11日] 参考資料:池上彰のよくわかる世界の宗教 仏教 池上/彰‖著 丸善出版 2016.11, 参考資料:国際関係がよくわかる宗教の本 4 池上/彰∥著 岩崎書店 2006.4, 参考資料:国際理解に役立つよくわかる世界の宗教 6 岩崎書店 1999.4, 参考資料:国際理解を深める世界の宗教 1 ポプラ社 2005.3, 参考資料:地獄のはなし ひろ/さちや∥文 大揚社 1991.12, 参考資料:少年少女の仏教 土屋/昭之∥著 出版者不明 2004.9, 参考資料:調べ学習日本の歴史 10 ポプラ社 2001.4, 参考資料:シリーズ世界の宗教 5 河津/千代∥訳 リブリオ出版 1987.10, 参考資料:仏像なぜなぜ事典 大法輪閣編集部∥編 大法輪閣 1987.2, 参考資料:仏教のひみつ 松本/義弘∥構成・文 学研パブリッシングコミュニケーションビジネス事業室 2013.2, 参考資料:基礎の仏教史 大法輪閣編集部∥編 大法輪閣 1989.9, 参考資料:13歳からの仏教 龍谷総合学園∥編 本願寺出版社 2013.4, 参考資料:13歳からの仏教塾 平井/正修‖著 海竜社 2016.2, 参考資料:仏教入門 松尾/剛次∥著 岩波書店 1999.6, 参考資料:ブッダ-大人になる道 アルボムッレ・スマナサーラ∥著 筑摩書房 2006.11,
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小学生が点字を勉強するために参考になる本はありますか。(大阪府立中央図書館)

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小学生が点字を勉強するために参考になる資料には、以下のものがあります。 ・『月刊ポプラディア 「もっと知りたい!」を育てる総合的な学習の応援雑誌 2005-3月号 点字を学ぼう!』 (ポプラ社 2005.2) ・『子どものための点字事典』(黒崎惠津子/著 福田行宏/イラスト 汐文社 2009.3) ・『これだけ点字 さわってわかるてんじのふしぎ(はじめてのボランティア)』(田中ひろし/著・編集 同友館 1997.4) ・『G-10とマナブくんの点字教室』(全国視覚障害者情報提供施設協会/編集 全国視覚障害者情報提供施設協会 2011.6) ・『しらべよう!りかいしよう!点字の世界 1 点字って、なに?』(桜雲会/監修 こどもくらぶ/編 岩崎書店 2010.10) ・『しらべよう!りかいしよう!点字の世界 2 たのしい点字』(桜雲会/監修 こどもくらぶ/編 岩崎書店 2010.11) ・『しらべよう!りかいしよう!点字の世界 3 町の点字をしらべよう!』(桜雲会/監修 こどもくらぶ/編 岩崎書店 2010.11) ・『新・点字であそぼう』(桜雲会/監修 こどもくらぶ/編 同友館 2011.6) ・『点字基礎のキソ』(田中ひろし/文 笠原真美/版画 こどもくらぶ編集部/編集 今人舎 1998.7) ・『点字について話そう(点字の世界へようこそ3)』(黒崎惠津子/文 中西恵子/絵 汐文社 1998.2)』 ・『点字のひみつ 1い 点字ってなあに』(田中ひろし/著 同友館 1998.3) ・『点字のひみつ 2ろ 点字であそぼう』(田中ひろし/著 同友館 1998.3) ・『点字のひみつ 3は 点字を読もう』(田中ひろし/著 同友館 1998.3) ・『点字のひみつ 4に 読む点字を書こう』(田中ひろし/著 同友館 1998.3) ・『点字のれきし(点字の世界へようこそ1)』(黒崎惠津子/文 中西恵子/絵 汐文社 1998.2) ・『点字・はじめの一歩(点字の世界へようこそ2)』(黒崎惠津子/文 中西恵子/絵 汐文社 1998.3) ・『バリアフリーの本:「障害」のある子も"みんないっしょに" 2 はじめての点字』(石井みどり/文 平井伸造/写真 偕成社 2000.3) ・『ボランティアに役立つはじめてであう点字 1 指から広がる世界』(黒崎惠津子/著 鈴木びんこ/絵 岩崎書店  2000.4) ・『ボランティアに役立つはじめてであう点字 2 点字のことば百科』(黒崎惠津子/著 中野耕司/絵 岩崎書店  2000.4) ・『ボランティアに役立つはじめてであう点字 3 点字で学ぼう』(黒崎惠津子/著 大中美智子/絵 岩崎書店  2000.4) ・『ボランティアに役立つはじめてであう点字 4 点字のひみつ』(黒崎惠津子/著 中野耕司/絵 岩崎書店  2000.4) ・『ボランティアに役立つはじめてであう点字 5 バリアフリーをめざして』(黒崎惠津子/著 大中美智子/絵 岩崎書店  2000.4) ・『もっと知ろう!点字』(日本点字図書館/監修 ポプラ社 2017.4)  ・『わたしたちにもできるこれからのボランティア 5 手話・点字によるボランティア』(新谷弘子/監修 文研出版 1999.3) [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:月刊ポプラディア 2005-3月号 ポプラ社 2005.2, 参考資料:子どものための点字事典 黒崎/惠津子∥著 汐文社 2009.3, 参考資料:これだけ点字 田中/ひろし∥著・編集 同友館 1997.4, 参考資料:G-10とマナブくんの点字教室 全国視覚障害者情報提供施設協会∥編集 全国視覚障害者情報提供施設協会 2011.6, 参考資料:しらべよう!りかいしよう!点字の世界 1 桜雲会∥監修 岩崎書店 2010.10, 参考資料:しらべよう!りかいしよう!点字の世界 2 桜雲会∥監修 岩崎書店 2010.11, 参考資料:しらべよう!りかいしよう!点字の世界 3 桜雲会∥監修 岩崎書店 2010.11, 参考資料:新・点字であそぼう 桜雲会∥監修 同友館 2011.6, 参考資料:点字基礎のキソ 田中/ひろし∥文 今人舎 1998.7, 参考資料:点字について話そう 黒崎/惠津子∥文 汐文社 1998.2, 参考資料:点字のひみつ 1い 田中/ひろし∥著 同友館 1998.3, 参考資料:点字のひみつ 2ろ 田中/ひろし∥著 同友館 1998.3, 参考資料:点字のひみつ 3は 田中/ひろし∥著 同友館 1998.3, 参考資料:点字のひみつ 4に 田中/ひろし∥著 同友館 1998.3, 参考資料:点字・はじめの一歩 黒崎/惠津子∥文 汐文社 1998.3, 参考資料:バリアフリーの本 2 偕成社 2000.3, 参考資料:ボランティアに役立つはじめてであう点字 1 黒崎/惠津子∥著 岩崎書店 2000.4, 参考資料:ボランティアに役立つはじめてであう点字 2 黒崎/惠津子∥著 岩崎書店 2000.4, 参考資料:ボランティアに役立つはじめてであう点字 3 黒崎/惠津子∥著 岩崎書店 2000.4, 参考資料:ボランティアに役立つはじめてであう点字 4 黒崎/惠津子∥著 岩崎書店 2000.4, 参考資料:ボランティアに役立つはじめてであう点字 5 黒崎/惠津子∥著 岩崎書店 2000.4, 参考資料:もっと知ろう!点字 日本点字図書館‖監修 ポプラ社 2017.4, 参考資料:わたしたちにもできるこれからのボランティア 5 新谷/弘子∥監修 文研出版 1999.3,
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児童雑誌『小學生』4巻4号(文教社 1914.4)の内容を確認するため、目次を教えてほしい。(大阪府立中央図書館)

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大阪府立中央図書館国際児童文学館が所蔵する当該号は目次が欠落している。 また、国立国会図書館や各都道府県立図書館、大学図書館にも当該号の所蔵は見当たらない。 よって、残存ページの標題と作者を確認した。結果は以下の通りとなる。 (該当ページに標題がない場合は(タイトル不明)としている。また、絵の作者を落款により判断した場合は〔〕でくくっている) (表紙、目次、口絵が欠落) 口絵 (タイトル不明) 〔竹久夢二〕 p.1 (タイトル不明) 〔小林永二郎〕 p.2 扉絵「東洋イソップ 小兒と雲雀」渡邊北海  p.4 「四月のゑごよみ」 〔小林永二郎〕 p.6 「怪潜水艇 第三回」 三津木春影 p.15 「物理遊戯 コップの魔術」 雀忠太夫 p.17 「金倉の鍵(2)」 高辻暮水 p.24 「槽の中のダイヲゼニス」 陽洋 p.28 「龍宮より (珍世界探検通信=第三信)」 大正桃太郎 p.30 「小学新聞 大正三年第四號」 p.32 「森姫の音樂」 小野小峽 p.38 「教訓小話 級長」 横尾眞琴 p.42 「滑稽問答 市三の理窟」 黑風樓主人 p.44 「善吉と惡造」 蘆谷蘆村 p.50 「博覽會だより」 p.51 「成績品展覽會」 p.52 「選評記」 戶山紅草 p.58 「綴方成績優良人名」 p.58 「小學生和」 p.58 「小學生俳句」 p.60 「こんわくわい」 p.60 「判じ繪當賞者(二月號出題の分)入選三百名」 p.64 「三百名御褒美附綴方判じ繪新題」 (以降、裏表紙まで欠落) [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:小学生 同文館  4(4),
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絵本『こびとといもむし』の原作者である肥塚彰について知りたい。(大阪府立中央図書館)

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人名事典等の各種事典には、当該絵本の原作者である以上の情報はなかった。 絵本のあとがきには、以下の通り、著者の黒崎義介が肥塚彰について述べている。 ・『小人といも虫(ヨシスケヱ本) 再版』(くろさきよしすけ/絵 肥塚あきら/原作 文化建設社 1974) 「肥塚彰さんは、昭和十八年十二月立教大学予科在学中応召、昭和二十年六月十日千島列島沖にて戦死をされた、まだ若い方で、この話に出て来る「若い小人」のように、やさしい人でした。」 「原作は、もっと長いものでしたが、絵本にするため、私がかんたんにしたのです」 ・『キンダーおはなしえほん』6(4)(フレーベル館 1972.4) 「ある日、肥塚一郎さんが弟の遺稿ですと、三百枚ばかりの原稿を持って来られた。それは未稿ではあったが、きれいな字で書かれ――」 「この原作者肥塚彰君はまだ二十を一つ越したばかりの立教大学生で、学徒出陣の尊い犠牲になり若い命を失くされた方です」 ・『別冊キンダーブック 物語絵本』2(3) 秋の号(フレーベル館 1962.9) 『キンダーおはなしえほん』の後書きから、この資料の付録「ペアレンツコーナー」に黒崎義介の跋文があると思われるが、残念ながら欠落しており、確認できなかった。 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:小人といも虫 再版 くろさき/よしすけ∥絵 文化建設社 9999.99, 参考資料:別冊キンダーブック フレーベル館  2(3) 秋の号, 参考資料:キンダーおはなしえほん フレーベル館  6(4),
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『童謡集 大きい鞠小さい鞠』の作者松根有二の生没年が知りたい(大阪府立中央図書館)

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以下の資料に1911年生~1937年没と記述がある。 『和歌山県史 人物』(和歌山県史編さん委員会/編集 和歌山県 1989) p.442に1911年生まれ、1937年7月31日に死去とある。 『野口雨情 回想と研究』(野口存弥/編 あい書林 1982.5) p.46「雨情と松根有二と中上健次」(恩田雅和/著)の中で、「松根は明治四十四年新宮に生まれ―(略)―昭和十二年七月、胃潰瘍のため、旅先の大阪市内で夭折した」とある。 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:和歌山県史 人物 和歌山県史編さん委員会∥編集 和歌山県 1989, (442) 参考資料:野口雨情 回想と研究 野口/存弥∥編 あい書林 1982.5, (46)
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アフリカについて子どもに紹介できる本のリストはないか。(大阪府立中央図書館)

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以下の資料およびウェブサイトを紹介した。 ・『多文化に出会うブックガイド』(世界とつながる子どもの本棚プロジェクト/編 読書工房 2011.3) p.143~154に、子ども向けのアフリカの本が紹介されている。 ・「アフリカ 子どもの本プロジェクト」(2017/8/18現在) http://ift.tt/2whOPrz 「おすすめの本」のページでは、物語絵本、昔話、児童文学、ノンフィクションの4つのカテゴリーで、アフリカについて知ることができる子どもの本が紹介されている。 ・「AFRIC Africa 特定非営利活動法人アフリック・アフリカ」(2017/8/18現在) http://ift.tt/2fpC3QG 日本での活動>おすすめアフリカ本のページでは、大人から子ども向けに、アフリカについて知ることができる本が紹介されている。 [事例作成日:2017年8月18日] 参考資料:多文化に出会うブックガイド 世界とつながる子どもの本棚プロジェクト∥編 読書工房 2011.3, 参考資料:http://ift.tt/2whOPrz, (アフリカ 子どもの本プロジェクト) 参考資料:http://ift.tt/2fpC3QG, (AFRIC Africa 特定非営利活動法人アフリック・アフリカ)
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ポックリ信仰と関連があると思われる三豊市高瀬町地蔵院の嫁楽観音について(香川県立図書館)

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次の資料に「嫁楽観音」に関する記述あり。 ・さぬき三十三観音霊場 補陀洛への旅 春秋社/編 春秋社 1979   ※p.83-85「第23番 宝珠山悲願院地蔵寺」の中に「嫁楽観音」について次の記述があります。     「霊場本尊准胝観世音菩薩は、江戸初期の像容で三目十八臂。信仰すれば、長患いでず、下の世話をかけることもなく、安楽に極楽に行けることから「嫁楽(よめらく)観音として尊崇されて来た。密教では胎蔵界曼荼羅の蓮華部の仏母であるといわれ、蓮華部諸尊の能生(のうしょう)の母として広大な徳を備え、特に延命の功力があるとして広く信仰されている。准胝観音を准胝仏母とするのもこれによるもので、当時の観世音は、延命の後に安楽死できるご利益をあずかっている。」 ・さぬき三十三観音霊場巡り 雑誌四国/編 雑誌四国   ※p.48「第23番 宝珠山 地蔵寺」の中に「嫁楽観音」について次の記述あり。    「霊場本尊の准胝観音は、信仰すれば、長患いせず、下の世話をかけることなく、ポックリ死ねるということで、俗に「嫁楽観音」と呼ばれている。」 ・さぬき三十三観音霊場 読売新聞高松支局/編 読売新聞高松支局 1979   ※p.25「第23番 地蔵院」の中に「嫁楽観音」について次の記述あり。     「霊場本尊の准胝観音は、寝たきりにならず、長命し安楽に往生できる別名「嫁楽観音」俗にいう「ぽっくり観音」。」 回答プロセス:次の資料に地蔵寺に関する記述はあったが、「嫁楽観音」についての記述はなかった。   ・高瀬町誌 高瀬町誌編集委員会/編 高瀬町 1975.3   ・高瀬町史 民俗・自然編 高瀬町/編 高瀬町 2003.12   なお、当館所蔵の郷土資料で、嫁いらず観音・地蔵尊信仰に関するものは確認できなかった。 ※当館所蔵なしだが、次の出版情報を確認。    ・ポックリ信仰 長寿と安楽往生祈願 松崎憲三/著 慶友社 2007.5(慶友選書)       日販マーク内容紹介:「健康で長生きし、安らかに往生をとげたい」という願い、介護する者・される者の切実な思いで、今なお各地の人々に根強く支持されているポックリ信仰。各地のポックリ信仰を紹介するとともに、その実相に迫る。」 【主要目次】 Ⅰ 祈願の諸相 木村博氏とポックリ信仰/御座の石ぼとけ/興正寺の大随求明王/洞慶院の鳥瑟沙磨明王/小山町の足柄聖天堂  Ⅱ 巡拝習俗をめぐって 長谷堂のコロリ観音・三宝岡の生き如来/立木観音・鳥追観音・中田観音 Ⅲ ポックリ信仰の消長 龍泉寺の水崎観音・駒形長寿観音堂/牛込のお釈迦様・ポックリ不動尊 Ⅳ 地蔵とポックリ信仰 コロリ地蔵・イビダレ地蔵/一願一言地蔵・梯子地蔵 Ⅴ 阿弥陀とポックリ信仰 真如堂のお十夜念仏・庚申堂のコンニャク封じ/腰巻のお寺(吉田寺)・恵心さんのお寺(阿日寺)・傘堂 Ⅵ 那須与一とポックリ信仰 即成院と那須与一/瑞祥寺の那須与市大権現 Ⅶ 嫁入らず(嫁楽)観音 梶草の嫁いらず観音/久賀の嫁いらず観音と上勝間の嫁楽観音 Ⅷ 保久俚(利)大権現をめぐって 鬼無の保久俚大権現/長志の保久俚大権現 ポックリ信仰関連施設一覧 * 次の資料に掲載なし。  ・観音総鑑 久野健/編著 新人物往来社 1986.4 事前調査事項:塚本哲、松崎憲三、木村博などの本はすでに調査し終えている、とのこと。 (当館所蔵)   ・仏教民俗学大系 1 仏教民俗学の諸問題 名著出版 1993.3      ※現代人と「ポックリ」信仰(木村博著) 参考資料:佐々木宏幹, 宮田登, 山折哲雄 監修 , 池上良正 [ほか]編 , 佐々木, 宏幹, 1930- , 宮田, 登, 1936-2000 , 山折, 哲雄, 1931- , 池上, 良正, 1949-. 日本民俗宗教辞典. 東京堂出版, 1998. http://ift.tt/2wj6Dm2, 4490104812(※p.517「嫁楽観音」は出てこないが、「ぽっくり信仰」の項あり。) 参考資料:比較家族史学会 編 , 比較家族史学会. 事典・家族. 弘文堂, 1996. http://ift.tt/2fp4DSo ※p.667-668「寝たきり老人」の項に次の記述あり 「・・・東京都老人総合研究所の調査(1987年)によれば、ポックリ寺へ詣でる老人たちの動機で最も高かった(93%)のは、「寝たきりになって家族に迷惑をかけたくないので」であった。」, 4335550669 寄与者:秋田県立図書館 備考:(関連事例)   ・湯沢市院内にある愛宕神社の「コロリ地蔵」の台座に三猿が彫ってある理由が知りたい。(秋田県立図書館)      http://ift.tt/2wipGwB
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会津ころり三観音(あいづころりさんかんのん)
福島県会津地方の大沼郡会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)
中田観音 抱きつき柱 中田観音 御朱印 中田観音 ご開帳 鳥追観音 中田観音 アクセス 弘安寺 御朱印 会津ころり三観音 場所 法用寺 伊佐須美神社 立木観音 河沼郡会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音)
恵隆寺 御朱印帳 中田観音 会津 会津ころり三観音 場所 鳥追観音 立木観音 子宝 恵隆 寺 歴史 立木観音 御朱印 会津 坂下 お寺 心清水八幡神社 鳥追 観音 拝観 料 耶麻郡西会津町野沢の如法寺(鳥追観音)
鳥追観音 身代わり 鳥追観音 御朱印 鳥追観音 拝観料 鳥追観音 御開帳 鳥追観音 そば 中田観音 鳥追観音 お守り 鳥追観音 お礼参り 会津ころり三観音 大 山祇 神社 西 会津 町 ぽっくり寺 神奈川

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会津 ころり 観音 めぐり

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『康煕字典』を調べたい。(近畿大学中央図書館)

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下記のサイトがあった。  康熙字典網上版  http://ift.tt/2fqejfm(2017/09/26 確認) 国立国会図書館デジタルコレクション  http://dl.ndl.go.jp/ (2017/09/26 確認) 訂正康煕字典 渡部温 編 渡辺温, 1887 https://goo.gl/HZkhzJ (2017/09/26 確認) 首巻~16巻 <図書> 渡部温訂正『康煕字典 : 標註訂正』 東京 : 講談社 , 1977.11 本館請求記号:823 - Ko43 『康煕字典』 吉川弘文館 , 1905.9 本館請求記号:823 - Ko43 回答プロセス:『康煕字典』について コトバンク 康煕字典 こうきじてん 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 http://ift.tt/2wjecZK(2017/09/26 確認) 参考資料:康煕字典 : 標註訂正 / 渡部温訂正 復刻版 講談社 , 1977 「訂正康煕字典」(無盡藏書房 明治18年刊)の影印復刻, 参考資料:康煕字典DVD-ROM エー・アイネット開発・製作. [コンピュータファイル(光ディスク)] 紀伊國屋書店, c2007, DVD-ROM1枚. ISBN:9784314900355,
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『解体新書』を見たい。(近畿大学中央図書館)

【外部リンク】
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下記の複製があった。 解體新書 / [Kulmus著] ; 杉田玄白[ほか]訳. -- (BN14946946) 東京 : 講談社, 1973 6冊 ; 26cm -- 序図 - 解説 注記: 安永3年刊の複製 ; 和装本 帙入 ; 解説の校註: 大鳥蘭三郎 ISBN: (序図) ; (巻之1) ; (巻之2) ; (巻之3) ; (巻之4) ; (解説) 別タイトル: 解体新書 http://ift.tt/2wiw736 (2017/09/26 確認) [クルムス著] ; [杉田玄白, 前野良沢訳] ; [中川淳庵校] ; [石川玄常参] ; [桂川甫周閲] ; 西村書店編集部編『解体新書』 西村書店 , 2016.4 ISBN:9784890134632 復刻版, 284p 本館請求記号:491.1 - Ku29 http://ift.tt/2fq3yKe (2017/09/26 確認) http://ift.tt/2wiw87a (2017/09/26 確認) 下記のサイトで画像が公開されていた。 解体新書(アナトミア) 慶應義塾所蔵貴重コレクション http://ift.tt/2fq3zxM(2017/09/26 確認) 国立国会図書館デジタルコレクション 解体新書 4巻 【全号まとめ】 古典籍資料(貴重書等)/その他 キュルムス 著[他] (須原屋市兵衛, 安永3 [1774]) http://ift.tt/2wi70gI (2017/09/26 確認) 参考資料:解体新書(かいたいしんしょ) コトバンク[日本大百科全書(小学館)], (http://ift.tt/2fnF9ox(2017/09/26 確認)) 参考資料:杉田玄白(すぎたげんぱく) コトバンク[日本大百科全書(小学館)], (http://ift.tt/2wiw9be(2017/09/26 確認)) 参考資料:クルムス Johann Adam Kulmus コトバンク[日本大百科全書(小学館)], (http://ift.tt/2fnFasB(2017/09/26 確認)) 参考資料:解体新書 : 全現代語訳 / 杉田玄白 [ほか訳著] ; 酒井シヅ現代語訳 新装版 講談社, 1998 (講談社学術文庫 ; [1341]) ISBN:4061593412, (本館請求記号:000 - 講談社学術文庫 - 1341)
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2017年9月26日火曜日

「勸君金屈卮、滿酌不須辭。花發多風雨、人生足別離。」の作者を確認したい。(近畿大学中央図書館)

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『唐詩解釈辞典』の于武陵(うぶりょう)「勸酒」に次の記述があった。 「この詩は『全唐詩』六〇〇の晩唐の武瓘の条にも重複して収められ、文字に異同はない。 なお明の朱警編『唐百家詩』(第三〇冊)に収める『于鄴詩集』には、この詩を収めない(明の嘉靖一九年序刊)。」 回答プロセス:寒泉の全唐詩および全唐詩検索系統で検索した。 下記のデータがヒットした。 台灣師大圖書館【寒泉】古典文獻全文檢索資料庫 による検索 http://ift.tt/191ztvf (2017/09/25 確認) 「全唐詩」を選択し、文言を入力し、検索すると、以下がヒットした。 第1筆    勸酒 于武陵 勸君金屈卮,滿酌不須辭。花發多風雨,人生足別離。 [頁]卷,冊....[6895]595,18 第2筆    勸酒 武瓘 勸君金屈卮,滿酌不須辭。花發多風雨,人生足別離。 [頁]卷,冊....[6941]600,18 【新詩改罷自長吟】全唐詩檢索系統 新版(2012改版) http://ift.tt/2y2toiw (2017/09/25 確認) 詩文(キーワード)に、入力し、以下がヒットした。 作者:于武陵 卷 別:卷五九五 詩 題:勸酒 詩 文: 勸君金屈卮,滿酌不須辭。 花發多風雨,人生足別離。 http://ift.tt/2jZ3hmi (2017/09/25 確認) 作者:武瓘 卷 別:卷六○○ 詩 題:勸酒 詩 文: 勸君金屈卮,滿酌不須辭。 花發多風雨,人生足別離。 http://ift.tt/2y3j6ii (2017/09/25 確認) この情報をもとに『唐詩解釈辞典』を調べた。 そのほか、人物情報を確認した。 コトバンク 于武陵 うぶりょう Yu Wu-ling ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 http://ift.tt/2jZ3hTk(2017/09/25 確認) 早稲田大学古典籍総合データベース http://ift.tt/2y2toPy(2017/09/25 確認) 唐詩選和訓 / 李攀竜 編選 ; 嵩山房高英 [和訓] トウシセン ワクン toshisen wakun 李 攀竜, 1514-1570リ, ハンリュウri, hanryu 小林 高英コバヤシ, タカヒデ kobayashi, takahide  日本橋通(東都) : 嵩山房, 文政6[1823]ニホンバシトオリ(トウト) : スウザンボウ nihonbashitori(toto) : suzanbo 古典籍 / 逍遙文庫 / 坪内逍遙 http://ift.tt/2jZ3iqm(2017/09/25 確認) 勧酒 http://ift.tt/2y3j7mm(2017/09/25 確認) 参考資料:寒泉 http://ift.tt/191ztvf (2017/09/25 確認), 参考資料:【新詩改罷自長吟】全唐詩檢索系統 新版(2012改版) http://ift.tt/2y2toiw (2017/09/25 確認), 参考資料:唐詩解釈辞典 : 校注 / 松浦友久編著 大修館書店 , 1987 ISBN:4469032026 p.16, 参考資料:厄除け詩集 / 井伏鱒二著 講談社 , 1994 (講談社文芸文庫 ; い-C8) ISBN:4061962671 p.53, 参考資料:唐詩「勧酒」の読みを知りたい。(高崎市立中央図書館), (http://ift.tt/2jWBByx (2017/09/25 確認)) 参考資料:「花に嵐のたとえもあるぞさよならだけが人生だ」の出典はどこからか。(小野市立図書館), (http://ift.tt/2y2tqXG (2017/09/25 確認))
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レポート・論文を書くためのアカデミック・ライティングについて知りたい。(近畿大学中央図書館)

【外部リンク】
http://ift.tt/2jYKqrx
以下の資料がみつかった。 <Webサイト> 各大学が作成するアカデミック・ライティング(レポート・論文の書き方)のテキスト。 アカデミック・ライティング (大阪大学) http://ift.tt/2y3Qrtc 確認) 堀一成, 坂尻彰宏著「阪大生のためのアカデミック・ライティング入門」(第3版) http://ift.tt/2jWLKeQ  (2017/09/25 確認) 「大学生のためのアカデミックライティング」(東京外国語大学) http://ift.tt/2y2t6Is 確認) レポートの書き方ガイド(関西大学) http://ift.tt/2jVkahX 確認) レポートの書き方ガイド(基礎篇)【改訂版2014】.pdf http://ift.tt/2y2t7Mw 確認) レポートの書き方ガイド(発展篇).pdf http://ift.tt/2jZhgZC 確認) <図書> 本学OPACの検索結果の例  http://ift.tt/2y4eSqL (2016/12/14 確認) アカデミック・ライティング、レポート・論文の書き方(論文作法)に関する図書は、数多く所蔵がある。 以下は検索結果の一例である。 ●日本語のアカデミック・ライティング 石塚正英, 黒木朋興編著 ; 工藤豊 [ほか] 著 『日本語表現力 : アカデミック・ライティングのための基礎トレーニング』 朝倉書店 , 2016.3 本館請求記号:816.5 - I84  ISBN:9784254510492 村岡貴子, 因京子, 仁科喜久子著『論文作成のための文章力向上プログラム : アカデミック・ライティングの核心をつかむ』大阪大学出版会 , 2013.3 本館請求記号:816.5 - Mu55  ISBN:9784872594164 ●ロジカル・ライティング 吉岡友治著 『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術 : 世界で通用する20の普遍的メソッド』草思社 , 2015.1 本館請求記号:816.5 - Y92 名古屋大学教育学部附属中学校, [名古屋大学教育学部附属]高等学校国語科著 ; 戸田山和久執筆協力『はじめよう、ロジカル・ライティング』ひつじ書房 , 2014.5 本館請求記号:816.5 - N27 ●英語論文のアカデミック・ライティング 中谷安男著『大学生のためのアカデミック英文ライティング : 検定試験対策から英文論文執筆まで』 ; コンラド・ビューシス英文校閲 大修館書店 , 2016.5 本館請求記号:836.5 - N43 ISBN:9784469246025 一橋大学英語科編著『英語アカデミック・ライティングの基礎』 研究社 , 2015.3 本館請求記号:836.5 - H77 ISBN:9784327421946 ●理系のアカデミック・ライティング 酒井聡樹著 『これから論文を書く若者のために』究極の大改訂版 共立出版 2015.4 本館請求記号:816.5 - Sa29 ヒラリー・グラスマン-ディール著 ; 甲斐基文, 小島正樹訳『理系研究者のためのアカデミックライティング』東京図書 , 2011.12 本館請求記号:407 - G48 ISBN:9784489021183 ●法学系のアカデミック・ライティング 木山泰嗣著 『法学ライティング』東京 : 弘文堂 , 2015.3 本館請求記号:320 - Ki84 弥永真生著『法律学習マニュアル』第4版 有斐閣 , 2016.4 本館請求記号:320 - Y51 参考資料:レポートの書き方(近畿大学中央図書館), (http://ift.tt/2jY4w5x (2017/01/31 確認)) 参考資料:レポート・論文作成のための資料収集の方法(近畿大学中央図書館), (http://ift.tt/2y2t9UE  (2017/01/31 確認)) 参考資料:英語論文の書き方の本を探している。(近畿大学中央図書館), (http://ift.tt/2jXwEFK (2017/01/31 確認))
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2017年9月25日月曜日

『ともだち』というタイトルの本を探している。(摂津市民図書館)

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レファレンスインタビューの結果、下記の本であることがわかった。 『ともだち』(作:谷川俊太郎、絵:和田誠) 回答プロセス:タイトルの「ともだち」だけでは絞りきれないため、表紙や内容など他にわかることを訊ねた。 内容は「かぜをひいてもともだち」といったことが書かれており、 表紙は白が多く、男の子と女の子が4人描いてあった、とのこと。 これらの追加情報と合わせて、インターネット検索したところ判明した。 備考:当該資料が宿題のため必要だったが、当館に所蔵していなかった。 そのため、当館にある谷川俊太郎・和田誠の作品を紹介した。 『いちねんせい』『これはのみのぴこ』『あな』。
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立松和平文庫(宇都宮市立図書館)

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宇都宮市出身の作家立松和平氏(1947-2010)の著書を中心に収集したコレクション。 立松氏のご遺族から寄贈された著書の多くは,貴重な初版本である。 来歴:2013(平成25)年8月,寄贈図書を基に,「立松和平文庫」を宇都宮市立南図書館に設置した。 利用条件:閲覧・複写可 一部資料は館外貸出可 目録等:立松和平文庫目録 http://ift.tt/2y1hZiZ 所蔵点数:寄贈図書 268冊(児童書27冊を含む) 貸出用図書(立松和平氏著書、関連図書) 約350冊 備考:宇都宮市立南図書館 栃木県宇都宮市雀宮町56-1 028-653-7609 minami@lib-utsunomiya.jp
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