2017年9月29日金曜日

奈良時代に飛騨国の国司であった粟田道麻呂に関する史跡(神社、墓所など)・伝承を知りたい。郷土資料に関係する記述がないか。(岐阜県図書館)

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以下の資料を紹介した。 ・『国府町史 通史編1』(国府町史刊行委員会、2011年刊)  p.158-159「粟田道麻呂の死」の項目に「現在名張区一之宮に摂社粟田神社〔図6〕がある」とあり、図6(粟田神社の写真)が掲載されている。 ・『国府町の文化財』(国府町教育委員会、1972年刊)  p.34-35に「粟田道麻呂」の項目があり、「いま名張の一之宮神社に合祀されているが、近年まで名張には粟田社があってその霊を祀り、また付近には道麻呂幽居の跡と伝えられるところも残っている」と記述あり。 ・『国府町ふるさとガイドブック』(高山市国府支所地域振興課、2015年刊)  p.8に「一之宮神社」が掲載されており、解説に「境内社として昭和8年に合祀された荒神社(旧地は字寺洞)・諏訪神社(旧地は字諏訪洞)・粟田神社(旧地は字明石)」、「粟田神社の旧地には、かつて『粟田道麻呂配流の地』という標柱が立っていた。」との記述がある。 ・『飛騨の神社』(飛騨神職会、1987年刊)  p.680-685に「一之宮神社」の項目があり、鎮座地、祭神、由緒、祀職、祭祀、境内社、境内配置図などを掲載。    ・『飛騨国府シンポジウム 第3回』(国府町、1994年刊)  シンポジウムの開催要項と思われる資料。p.17-19に「粟田道麻呂と名張伝説」(国府史学会会長 加藤英司)の関連資料が掲載されており、「何故に国府町名張字石原1,632番地に粟田道麻呂配流の地の伝承があり、昭和8年岐阜県の方針により、粟田社が一之宮神社に合祀されたのか、以下の資料等を中心にその謎にせまってみたい。」と書かれているが、それに関する見解や結論は記述なし  また、以下の資料にも粟田道麻呂に関する記述がある(上記資料と重複する内容や、史跡・伝承以外の内容)。 ・『国府村史 全』(国府町教育委員会、1984年刊)p.180-181 ・『宮川村史 通史編上』(宮川村誌編纂委員会、1981)p.324 ・『飛騨 よみがえる山国の歴史』(大巧社、1997年刊)p.43-44 ・『飛騨人物考』(松浦潮)p.27  以下の資料については、記述がみられなかった。 ・『飛騨国古蹟考』 ・『飛州志』 ・『飛騨国中案内』 回答プロセス:岐阜県人物文献索引を検索。該当した『宮川村誌 通史編 上』(宮川村誌編纂委員会、1981)p.324の記述により国府町名張に関係があることがわかり、『国府町史』などの国府町関係資料、飛騨の地誌を中心に調査。  岐阜県人物文献索引(岐阜県図書館Webサイト「詳細蔵書検索」にて「人物文献」にチェックを付して検索)  http://ift.tt/2wmaRcp
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