2017年9月29日金曜日

永禄年間に美濃国(武儀郡八幡村)から日野に移り住み、日野用水を開削したとされる「佐藤隼人」に関する資料はないか。斎藤道三の家臣らしい。(岐阜県図書館)

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所蔵の郷土資料からは、「佐藤隼人」について記述のある資料は確認できなかった。 武儀郡八幡村は、現在の関市武芸川町八幡(2005年の関市編入前は武芸川町)にあたり、その周辺地域に佐藤氏が存在していたことは町史等に記されている。八幡の人物としては、「佐藤石見守昌信」がおり、天正年間に相模国(佐野川村)に移ったことが以下の資料に書かれているが、「佐藤隼人」は永禄10年に日野用水を開削したとされており(『日本歴史地名大系13 東京都の地名』平凡社、「日野宿」の項)、石見守昌信の移住とは時期と地域が合わない。 参考情報として以下を回答。 ・『富加町史 下巻通史編』(富加町、1980)   p.225-226に「4 相模の佐藤氏」の項目があり、佐藤石見守昌信について記述がある。   p.207-224には、石見守昌信の父とされる加治田城主佐藤紀伊守忠能など、周辺の佐藤氏全体について記述があり、うちp.209-210には佐藤氏系譜が掲載されている。 ・『恩田氏資料抄録』(恩田滋/編・刊、2013)   編者が市町村史などを調査して関係資料をまとめたもので、出典も付記されている。   p.32-33「加治田の佐藤氏系譜(戦国期~江戸前期)」   p.34-35「相模の佐藤系図」   p.42-43「恩田先祖佐藤石見守系図」、「佐藤石見守昌信の妻たち」   p.52-53「富加町、加治田の佐藤氏」(p.52:佐藤紀伊守忠能について、p.53:佐藤石見守について)     ・『竜福寺史』(丹羽平一/編・刊、1978)   富加町加治田の龍福寺は紀伊守忠能の菩提寺。   p.15-18に「紀伊守卒去とその子孫」の項があり、p.17に石見守昌信について記述がある。 ・『家系宝鑑 佐藤姓の歴史』(佐藤清隆/著、佐藤家系研究所、1976)   定期刊行物と思われる、50ページ程度の資料。複製資料でページ付けがないため、以下、ページは1枚目から数えて記載。   p.25-34「十、落人伝説の里 相模国佐野川村の史跡探訪」   p.35-47「10、美濃国加治田城址と寺院めぐり」  なお、当館では所蔵していないが、同じ著者による『家系宝鑑 佐藤一族の系譜と伝承口碑の変容』(佐藤家系研究所、1976年12月、全286ページ)もある(内容未確認)。 備考:・『日本歴史地名大系13 東京都の地名』平凡社、「日野宿」の項より  「元禄一六年(一七〇三)の挨拶目録(佐藤信行家文書)によれば、美濃国から永禄年間(一五五八-七〇)に移住してきた佐藤隼人が、北条氏照から罪人の労力を提供されて同一〇年に日野用水を開削したと伝える。」 ・国土交通省京浜河川事務所 多摩川流域リバーミュージアム   多摩川の名脇役「20 日野用水」…「*2」に佐藤隼人について解説あり  (http://ift.tt/2yKlV4T
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